【この記事は2018-06-06に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】
このところ、スポーツのスキャンダルが続いている。
社会の変化に伴い、スポーツが変化していくのも自然なことだが、相撲、レスリング、アメリカンフットボールとTVで大きな話題になったことは初めてではないか?
私の記憶では1984年ロサンジェルスオリンピックから大きなスポーツの変革が始まったと認識している。
1984年オリンピックを開催したいと手を挙げたのはロスだけだった。開催地の資金負担が大きすぎるというのがその理由だった。
そこでオリンピック委員会は増収のための4つの政策を打ち出した。
1.TV放映権料の増収を図る
2.企業スポンサーを30社募集して、それらの企業がオリンピックがらみのPRができるようにする
3.入場料収入の増収をはかる
4.記念グッズなどの売り上げによる収入増をはかる
この政策はその後より強い傾向になって継続されているゴルフが2016年から参加できた理由も世界ランクの上位プロがほとんど参加するというアピールがあったため、視聴率アップが見込めるとの判断が働いたとの話もある。
これらの政策によって、商業化されたオリンピックではプロがどんどん参加することで、トップアマとの区別がなくなった。
最近の日本でもマラソンで1億円の報奨金を得たアマのマラソン選手もいる。アマがCMに出演し、収入を得られるようになった。
スポーツによって違いはあるが、アマ資格はなくなったといっても良い。
改革の遅れているゴルフだけが昔からのアマ資格を守っているといっても良い。
今やスポーツは多くの人が見て楽しむエンターテイメントになった。
つまり「プレーするスポーツ」から、「見せるスポーツ」へと変化している。
そこに興業性が生まれ、スポーツを管理するそれぞれの協会には利権が生まれている。
協会にはこれらの営業を管理するような人材やシステムが備わっていないケースが多い。スポーツの世界では現役の時に活躍した選手たちが協会でもトップを占めることが多い。
スポーツの変革の中でトップアスリートだけでは運営しきれないスポーツになっていることを認識すべきではないか?
次回からそれぞれの具体的な私の認識をお知らせして、皆様のお考えを知りたいと考えています。
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