FedEx Cupの大改革

【この記事は2019-8-25に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】

米国ツアー最終戦「TOUR Championship」」が開催されている。

ゴルフはスーパーボール、メジャーのワールドシリーズ、バスケットなど他のスポーツとも戦っている。

特に近年ではTV放映権の価値を上げる必要が大きくなっている。そのために米国ツアー独特のFedExポイント制度を設定し、その年度の米国ツアー最高殊勲選手を決めようとしている。

そのためには実力のあるトッププロを全員出場させることも重要だ。その目的のために2007年から試行錯誤を続けてきた。そして2018-2019年度から劇的な改革を実行している。

2018年10月4日に第1戦が始まり、43戦のポイントでプレーオフへの参加が決まる。

各公式競技にFedExポイントがあり、ポイントランキングの上位125位が次年度のシード権を与えられ、同時にプレーオフ第1戦に参加できる。

この段階でポイント1位ー10位にはボーナスがあり、1位のケプカにはすでに200万ドルが支払われた。プレーオフシリーズ1戦と2戦は通常のポイントの4倍、2000ポイントが与えられるから、ポイントランク上位に入れる。

プレーオフ第2戦は累計ポイント上位70位しか出場できない。最終戦はポイント上位30位しか出場できず、昨年の最終戦チャンピオン・タイガーも参加できなくなった。

つまり本年度の最強プロを選ぼうとしている。

しかも、プレーオフ最終戦・TOUR Championshipではそれまで積み上げたポイントをハンディーに置き換えて、最終戦の成績で上位30選手の1位から30位が決まる仕組みにしている。

フアンには最終戦を見れば、年度での最強選手を知ることができる。

同時に最終戦・優勝者は1500万ドル<16億円>の優勝賞金がある。日本では考えられない大改革だが、世界のスポーツはここまで来たのかと恐ろしいくらいだ。

私なりに複雑な大改革の内容を分析してみました。

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ABOUTこの記事をかいた人

1937年2月10日、兵庫県西宮市生まれ
1995年 関西学院大学商学部に入学。大学時代ゴルフ部キャプテンとして関西リーグ戦に優勝。
1959年 関西学院大学を卒業し㈱日本ダンロップ(現:住友ゴム工業㈱)に入社。
ゴルフボールの販売推進を第一歩に、ゴルフ用品の商品開発に従事するなど、ゴルフビジネス一途に専従する。
1973年 ㈱ダンロップスポーツエンタープライズの創設と同時にゼネラルマネージャーとして出向。
1975年 同社取締役就任、1982年 同社常務取締役就任。
1986年 住友ゴム工業㈱及び㈱日本ダンロップに帰属し、スポーツ用品副事業部長。1988年 取締役
スポーツ事業部長。1991年住友ゴム工業㈱常務取締役に就任。
1994年 ㈱ダンロップ スポーツ エンタープライズ代表取締役副社長。
1998年 同社代表取締役社長に就任。
住友ゴム工業およびダンロップスポーツエンタープライズ在籍中、トーナメントディレクターとして約300のプロゴルフトーナメント、テレビマッチやゴルフレッスン番組など約600本を企画運営する。1973年よりテレビ解説を始め、約350本のTVマッチ及びダンロップ
フェニックストーナメントなど約150本以上のトーナメント解説を行う。
ゴルフトーナメント、ゴルフイベントのプロデュースを行う事で、ゴルフコース設計の重要性を認識し、ゴルフ場設計にも関わる。
1999年 住友ゴム工業㈱および㈱ダンロップスポーツエンタープライズを退職退任
㈱ターゲットパートナーを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
現在の主な役職
公益社団法人 ゴルフ緑化促進会 理事長(2007年 就任)
日本ゴルフ関連団体協議会 常任理事(2007年 就任)
NPO法人 日本芝草研究開発機構 副理事長(2008年 就任)
㈱サイプレスクラブ 代表取締役社長(2003年 就任)
南部富士㈱ 取締役(2002年 就任)
ゴールドウイン開発㈱ 顧問(2006年 就任)
ゴールデンバレーゴルフ倶楽部 評議員、理事、キャプテン(2008年 就任)
千刈カンツリー倶楽部 アドバイザー(2014年 就任)
サンコー72カントリークラブ 顧問 (2014年 就任)
魚津国際カントリークラブ 顧問 (2015年 就任)
メモリアルトーナメント・キャプテンズクラブ(USA) メンバー(1985年 就任)
主な著書
Golf World & Nippon(2009年5月)
温故知新(2006年6月)
ゴルフ雑記帖(2000年10月)
青木功の諦めないで自分を変えろ(1998年3月)
ゴルフボール-その飛びの秘密(1986年12月)