スポーツの変革(4)

【この記事は2018-07-8に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】

「見せるスポーツ」への成長は年々進んでいる。

国際サッカー連盟はロシア大会の賞金や参加費として、大会史上最高となる約870億円を用意したと発表している。16強となった日本代表には約13億円の賞金が支払われるという。

日本でもTV視聴率がベルギー戦の午前4時51分に42.6%を記録した。 国民的な関心がこれほど高くなるとは数年前には考えられなかったほどスポーツイベントが大きく変革してきたと云える。日本代表監督の年俸が2億円と言われ、世界から売り込みがあるという。
監督や選手の収入が大きくなるだけでなく、 協会の収益も増加する。それだけに従来の協会の人事体制では上手く運営できなくなる。

従来は競技団体としての体制があればよかったが、 興行収益が上がるとそれに対応する体制が必要になる。 一般的にスポーツ団体は現役時代に活躍した人がトップになるケースが多い。 求心力を考えるとスーパースターがトップになることで問題はない。

然し、興行の取り仕切りなどの業務が必要になるから、 それぞれの専門家が必要になる。

藤井七段で有名になった「将棋」で例えるとすれば王様はともかくとして、飛車、角が必要だ。

米国プロゴルフツアーでは執行部にプロゴルファーはいない。 弁護士などビジネスの世界で辣腕を振るってきた専門家がその任にある。

日本も時代の変化に伴い新しい体制づくりが急務ではないか⁉️

相撲、レスリング、アメリカン・フットボール等スポーツ団体でのスキャンダルが続いているが、 その背景には「見せるスポーツ」への成長があり、 それに対する体制づくりが求められている。

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大西久光

1937年2月10日、兵庫県西宮市生まれ
1995年 関西学院大学商学部に入学。大学時代ゴルフ部キャプテンとして関西リーグ戦に優勝。
1959年 関西学院大学を卒業し㈱日本ダンロップ(現:住友ゴム工業㈱)に入社。
ゴルフボールの販売推進を第一歩に、ゴルフ用品の商品開発に従事するなど、ゴルフビジネス一途に専従する。
1973年 ㈱ダンロップスポーツエンタープライズの創設と同時にゼネラルマネージャーとして出向。
1975年 同社取締役就任、1982年 同社常務取締役就任。
1986年 住友ゴム工業㈱及び㈱日本ダンロップに帰属し、スポーツ用品副事業部長。1988年 取締役
スポーツ事業部長。1991年住友ゴム工業㈱常務取締役に就任。
1994年 ㈱ダンロップ スポーツ エンタープライズ代表取締役副社長。
1998年 同社代表取締役社長に就任。
住友ゴム工業およびダンロップスポーツエンタープライズ在籍中、トーナメントディレクターとして約300のプロゴルフトーナメント、テレビマッチやゴルフレッスン番組など約600本を企画運営する。1973年よりテレビ解説を始め、約350本のTVマッチ及びダンロップ
フェニックストーナメントなど約150本以上のトーナメント解説を行う。
ゴルフトーナメント、ゴルフイベントのプロデュースを行う事で、ゴルフコース設計の重要性を認識し、ゴルフ場設計にも関わる。
1999年 住友ゴム工業㈱および㈱ダンロップスポーツエンタープライズを退職退任
㈱ターゲットパートナーを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
現在の主な役職
公益社団法人 ゴルフ緑化促進会 理事長(2007年 就任)
日本ゴルフ関連団体協議会 常任理事(2007年 就任)
NPO法人 日本芝草研究開発機構 副理事長(2008年 就任)
㈱サイプレスクラブ 代表取締役社長(2003年 就任)
南部富士㈱ 取締役(2002年 就任)
ゴールドウイン開発㈱ 顧問(2006年 就任)
ゴールデンバレーゴルフ倶楽部 評議員、理事、キャプテン(2008年 就任)
千刈カンツリー倶楽部 アドバイザー(2014年 就任)
サンコー72カントリークラブ 顧問 (2014年 就任)
魚津国際カントリークラブ 顧問 (2015年 就任)
メモリアルトーナメント・キャプテンズクラブ(USA) メンバー(1985年 就任)
主な著書
Golf World & Nippon(2009年5月)
温故知新(2006年6月)
ゴルフ雑記帖(2000年10月)
青木功の諦めないで自分を変えろ(1998年3月)
ゴルフボール-その飛びの秘密(1986年12月)