(㊤よりつづく)
出場資格のない選手が大会に出て、しかも優勝。一体どうしてこんな事態が起こったのか。もう少し詳しく調べてみると、一昨年の全米アマチュア選手権まで遡らねばならなくなった。小西健太は、この大会で日本勢初のセミファイナリスト(準決勝進出者)になる大健闘を演じているのだ。
全米アマはアマチュア界でいえば世界最高峰のタイトル。優勝すればマスターズに出場できるばかりでなく、予選2日間、前年優勝者と回ることができる慣例もある。全米オープン、全英オープンにも出場できる。それほど価値あるタイトルなのだ。
かつて霞ヶ関CCで行われた2010年アジアアマを制し、この権利で翌年のマスターズに出場しローアマの快挙を成し遂げた松山英樹でさえ、全米アマのタイトルには縁遠かった。
前年セミファイナリストの資格で、小西は昨年の全米アマにも出場権を持っていた。ところが出場していない。エントリーミスを犯していたからだ。阿部監督によれば「その前の年は、ナショナルチームメンバーということで、JGA(日本ゴルフ協会)がサポートしてくれた。で、昨年も同じだろうと思っていたら、資料が一向に届かない。気づいた時には、締め切りを過ぎていた」。
一昨年はサポートしてくれたJGAが、昨年はまったくサポートしてくれず、結果的にエントリーミスに至った、ということだ。一方、JGAの塩田良事務局長は「本来、試合のエントリーは、自己責任でやってもらうのが基本」とにべもなかった。確かに小西はもう成人している大の大人。こう言われてしまえばグゥの根も出ない。
出場していれば優勝の可能性もあった全米アマだけに、阿部監督も少なからず責任を感じていたはずだ。監督を含めた小西サイドは、全米アマに出場するつもりでいたため、日程が重なる関東学生予選にも出場していなかった。そこで阿部監督が中島会長に直訴し、超法規的措置で出場させようと試みた。それが「会長特別推薦」というウルトラCだったわけだ。
しかしこうした「抜け穴を突く」裏技に、他の監督たちは納得しなかった。他の選手たちの出場資格にも大きな影響を与える問題とあって、2度の質問状を送る異常な事態を招いたわけだ。結果、阿部監督は専任理事の退任を届け出、中島会長も8日の理事会で任期満了を待たずに「一身上の都合により退任」となった。
関東学生連盟の会長は日本学生ゴルフ連盟の会長も兼任することが慣例で、中島氏はこちらの会長職も辞任する方向。中島氏は関東ゴルフ連盟の理事会後、本誌のインタビューに答え「理事会の皆さまは任期満了まで、と言ってくださったが、松本さん(富夫=名誉会長)と理事会前に1時間ばかり話し合った結果、辞任することにした」と退任の理由を説明。しかし「ここまで頑張って来たんですがね」と語るその表情には無念さがにじんだ。
大騒動の主役となってしまった小西本人は、1月18日に本誌の直撃を受けるまで、騒ぎになっていることすらまったく知らなかった。「え?そんな騒ぎになっているんですか?関東学生は、出られると聞かされたんで、何の疑いもなかった。全米アマの件は、自分のミスです」と戸惑いの表情を浮かべるのみだった。
実力があったからこそ、関東学生でも優勝を飾った小西。本人にも責任の一端がないとは言えないが、結局、大人たちが勝手に動いた挙句の大騒動だったわけだ。1月の下旬に辞表を提出したという阿部監督は「学生スポーツの中で、もめるのも嫌いなもので、身を引いたということです。元々ボランティアでやってきたことなので、今後は(東北福祉大の)仕事に専念したい」とその理由を説明した。
「ポスト松山」だからこそ起きたトラブルは、結果的に本人だけでなく、その周辺にも後味の悪さを残すことになってしまった。小西が実力で勝ち取ったタイトルに、曇りが生じてしまったことの責任を、大人たちは感じ、今後への教訓にしなくてはならない。
(ゴルフジャーナリスト・小川 朗)
上の写真=アジアアマを制した松山㊧を祝福する阿部監督。
下の写真=騒動を知らされ、戸惑いの表情を浮かべる小西。
(小川 朗・The Tokyo Chronicleより転載)
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