男子ツアー名称「JGTO」が世界で通用しないワケ

菅野徳雄の「プロツアー激辛情報」
(日刊ゲンダイ 平成28年12月21日)男子ツアー名称「JGTO」が世界で通用しないワケ

 

PGAといえば世界どこへ行っても男子の「プロゴルフ協会」のことだ。
米国ももともとはプロゴルフ協会がツアー(トーナメント部門)を運営していたのを、1968年にツアー部門が独立、75年からPGAツアーという名称に変わっている。
日本も97年にプロゴルフ協会内で「ツアー・オブ・ジャパン」を運営しようという動きがあった。しかし、これがうまくいかなかったので2年後の99年にPGAから完全に分離独立。日本ゴルフツアー機構(JGTO)という新しい組織が誕生し、ツアー部門がスタートしている。

そのとき、PGAのロゴマークを使って「PGAツアー・オブ・ジャパン」としたかったのだが、「勝手に出ていってとんでもない」と日本プロゴルフ協会から断られたので、いまだにJGTOのままである。JGTOの初代会長には故・島田幸作が就任。倉本昌弘は長い間、選手会長を務めた後、副会長として島田会長を支えている。

そして14年には、日本プロゴルフ協会(PGA)の会長になり、PGAのロゴマークを使うように今度はJGTOに働きかけてきている。しかし、当時のJGTO会長・海老沢勝二氏はロゴマークの重要性を理解できないために話が進まないまま終わっている。

米国も「PGA・オブ・アメリカ」と「PGAツアー」は別の組織で運営されている。しかし、両者は車の両輪のような関係を保ち、「PGA」という同じ旗の下でツアープロとティーチング&クラブプロと役割を分担し、助け合いながら発展してきている。

米国PGAツアーでも戦ったことのある倉本PGA会長はそのことをよく知っている。「JGTOでは知名度は上がらない。日本も早くPGAツアーにしないと」と、ツアー部門を立ち上げたときから言ってきていることだ。

海外に行って「JGTO」と言っても分かってもらえないので、いちいち説明しないといけない。日本でもJGTOの意味を分かっているゴルファーは少ない。

今年3月、青木功がJGTO会長に就任したときにも、そのことについて倉本と2人で話し合っている。しかし、その後、どうなっているの? と、倉本PGA会長に聞いたら、「あと1年、待ってくれと言われた」というのだ。

その直後、JGTOの松井功副会長が辞任している。JGTOのもう一人の副会長・大西久光氏はかつてPGAからツアー部門が独立したとき関わっているので、JGTOではなくPGAツアーにしたほうが世界的にも知名度が上がることはよく分かっているはずだ。
 大西氏は松井副会長が在任中は何かとやりにくかったようだが、今は青木会長の片腕として存分に腕を振るうことが出来るはずだ。トーナメントプロデューサー&ディレクターとして多くのトーナメントを手掛けてきた大西氏をどうしてもっと生かそうとしないのか。

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1938年生まれ。岩手県陸前高田市出身。立教大卒。元日本ゴルフジャーナリスト協会会長。分かりやすいゴルフ技術論と辛口のゴルフ評論で知られる。「日本のゴルフを斬る」「シンプル思考で上手くなる」(共に日刊ゲンダイ)「菅野徳雄の言いたい放題」(月刊ゴルフマネージメント)を連載中。「トッププロのここを学べ」「ゴルフスウィングの決め手」「頭のいい男はゴルフが上手い」「即習ゴルフ上達塾」「誰も教えなかったゴルフ独習術」などの著書がある。