頂点を守る難しさ

【この記事は2016-04-14に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】

今年最初のメジャー・マスターズが誰の予想も覆すような結果に終わりました。
優勝したのは英国人のダニー ウィレット(28)でヨーロッパツアーでは昨年2勝、今年もすでに1勝している実力者ですが、優勝予想にはなかった人です。

彼の第一子が4月10日に生まれる予想日だったので、マスターズ参加を取りやめる予定だったそうですが、3月30日に早く生まれたので、89人目の最後の申し込みになったとのこと。まさに奇跡的な優勝と言えますが、運命の不思議さを感じます。

昨年、圧勝したジョーダン スピース(22)は連覇寸前の12番パー3で7という信じられないミスで悔しい大魚を逃しました。スピースは昨年から7ラウンドをトップで走り、多くの人が優勝だと感じていたでしょう。

何度か書きましたが、優勝には心技体頭運の5要素が必要です。今年のスピースにもそのほとんどが備わっていました。
勝利の女神を逃したのは「頂点に立つ人の難しさ」だったと思います。

トップを守り続けたスピースはアウト9ホールで優勝スコアに到達し、「残りの9ホールをパープレーで良いと考えていた」とプレー後のコメントで言いました。つまり攻めのゴルフから、安全な守りのゴルフに切り替えたのでしょう。ウィレットはスピースを追うために攻めのゴルフしかなかったのです。
スピースには追うべき対抗馬はいませんでした。

私は多くの優勝争いを見てくる中で、最後に勝利の女神を連れて帰れる条件を見続けてきました。
心技体頭運の5要素の1つである『運』とは何か?
私の結論は「プラス思考」を持ち続けるということです。

スピースは心技体頭運を持ち続けていましたが、守りに入るのが早すぎたのでしょう。

1996年グレッグ ノーマンが3ラウンドを完璧のラウンドで6打のリードして最終日を迎えました。
その時、TV解説をしていた私もノーマンの優勝を信じていましたが、守りに入ったノーマンはフアルドに逆転されました。

頂点を守り続けることがいかに難しいか。優勝候補はメディアのインタビューも多くなり、いやが上にも意識せざるを得ない状況の中で重圧と戦います。世界ランク1位をめぐる戦いはプライベートな時間にも続くのです。

そんな中、松山英樹が初めての優勝争いをしました。前半で崩れましたが、後半立て直した力はメジャーを勝ち取れる可能性を感じました。

ABOUTこの記事をかいた人

1937年兵庫県西宮市生まれ
1995年 関西学院大学商学部に入学。大学時代ゴルフ部キャプテンとして関西リーグ戦に優勝。
1959年 関西学院大学を卒業し㈱日本ダンロップ(現:住友ゴム工業㈱)に入社。
ゴルフボールの販売推進を第一歩に、ゴルフ用品の商品開発に従事するなど、ゴルフビジネス一途に専従する。
1973年 ㈱ダンロップスポーツエンタープライズの創設と同時にゼネラルマネージャーとして出向。
1975年 同社取締役就任、1982年 同社常務取締役就任。
1986年 住友ゴム工業㈱及び㈱日本ダンロップに帰属し、スポーツ用品副事業部長。1988年 取締役
スポーツ事業部長。1991年住友ゴム工業㈱常務取締役に就任。
1994年 ㈱ダンロップ スポーツ エンタープライズ代表取締役副社長。
1998年 同社代表取締役社長に就任。
住友ゴム工業およびダンロップスポーツエンタープライズ在籍中、トーナメントディレクターとして約300のプロゴルフトーナメント、テレビマッチやゴルフレッスン番組など約600本を企画運営する。1973年よりテレビ解説を始め、約350本のTVマッチ及びダンロップ
フェニックストーナメントなど約150本以上のトーナメント解説を行う。
ゴルフトーナメント、ゴルフイベントのプロデュースを行う事で、ゴルフコース設計の重要性を認識し、ゴルフ場設計にも関わる。
1999年 住友ゴム工業㈱および㈱ダンロップスポーツエンタープライズを退職退任
㈱ターゲットパートナーを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
現在の主な役職
公益社団法人 ゴルフ緑化促進会 理事長(2007年 就任)
日本ゴルフ関連団体協議会 常任理事(2007年 就任)
NPO法人 日本芝草研究開発機構 副理事長(2008年 就任)
㈱サイプレスクラブ 代表取締役社長(2003年 就任)
南部富士㈱ 取締役(2002年 就任)
ゴールドウイン開発㈱ 顧問(2006年 就任)
ゴールデンバレーゴルフ倶楽部 評議員、理事、キャプテン(2008年 就任)
千刈カンツリー倶楽部 アドバイザー(2014年 就任)
サンコー72カントリークラブ 顧問 (2014年 就任)
魚津国際カントリークラブ 顧問 (2015年 就任)
メモリアルトーナメント・キャプテンズクラブ(USA) メンバー(1985年 就任)
主な著書
Golf World & Nippon(2009年5月)
温故知新(2006年6月)
ゴルフ雑記帖(2000年10月)
青木功の諦めないで自分を変えろ(1998年3月)
ゴルフボール-その飛びの秘密(1986年12月)