スポーツの変革(3)

【この記事は2018-06-17に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】

「プレーするスポーツ」から「見せるスポーツ」への変革はスポーツ界を変化させている。トッププロだけでなくトップアマの競技もTV価値を上げて、アマの収入増につながっている。

そのため、スポーツのTVは年々その価値を上げて、放映権料が興行収入の中心を占めるようになる。1969年ダンロップトーナメントを初めて企画、運営した時には地上波しかなく、やっとカラー放送が始まったばかりだった。

今ではBS,CSとチャンネルが増えただけでなく、AbemaTVなどのインターネット放送にまで発展している。インターネットからの情報収集が主流になった現在はTVの視聴時間が大幅に減少し、スマートフォンに時間をとられた。ゴルフトーナメントを楽しめる映像がますます増えていくが、録画ではなく生中継であることが絶対条件になる。

現在は録画による放送が多いが、スコアの速報が進んでいるから、結果を知ってから映像を見ることが多く、スポーツの勝負の緊張感を味わえない。スマホによってスコア情報がとれるようになると、録画を見る人は限られてくる。

TV放映技術でもゴルフは他のスポーツと違う難しさを持っている。野球、サッカーは1個のボールを追えば、ほとんどの状況を知ることができるが、ゴルフでは上位選手が色々なホールでプレーをし、多くの選手、多くのボールを映像化しなくてはならない。

そのためにゴルフ中継では野球やサッカーより多くの中継車やカメラが必要になり、他のスポーツより何倍も多くの経費が掛かる。

TV会社としてはこれらの制作費と電波料を回収せねばならないが、視聴率が低いと、提供スポンサーも多額の放映料を支払わない。視聴者の興味は日本一ではなく、世界一を見たがっているから、オリンピックやゴルフでもマスターズ、全米オープンなどでの日本選手の活躍に注目している。

日本のトーナメントがTV価値を上げるためには何が必要だろう。幸いゴルフのプレー人口は約850万人もいて他のスポーツより多い。他のスポーツ以上にプレーする面白さを知っている視聴者がいる点を生かさねばならない。

新しい企画、海外のような美しいゴルフコースの画像、有望な若い選手の紹介などまだまだ工夫の余地はある。確かに放映権料は事業収入の中心になっていくが、それぞれの主催者と共に「視聴者が求める映像」を育てない限り、現状のままではそれも夢に終ってしまうだろう。

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ABOUTこの記事をかいた人

1937年兵庫県西宮市生まれ
1995年 関西学院大学商学部に入学。大学時代ゴルフ部キャプテンとして関西リーグ戦に優勝。
1959年 関西学院大学を卒業し㈱日本ダンロップ(現:住友ゴム工業㈱)に入社。
ゴルフボールの販売推進を第一歩に、ゴルフ用品の商品開発に従事するなど、ゴルフビジネス一途に専従する。
1973年 ㈱ダンロップスポーツエンタープライズの創設と同時にゼネラルマネージャーとして出向。
1975年 同社取締役就任、1982年 同社常務取締役就任。
1986年 住友ゴム工業㈱及び㈱日本ダンロップに帰属し、スポーツ用品副事業部長。1988年 取締役
スポーツ事業部長。1991年住友ゴム工業㈱常務取締役に就任。
1994年 ㈱ダンロップ スポーツ エンタープライズ代表取締役副社長。
1998年 同社代表取締役社長に就任。
住友ゴム工業およびダンロップスポーツエンタープライズ在籍中、トーナメントディレクターとして約300のプロゴルフトーナメント、テレビマッチやゴルフレッスン番組など約600本を企画運営する。1973年よりテレビ解説を始め、約350本のTVマッチ及びダンロップ
フェニックストーナメントなど約150本以上のトーナメント解説を行う。
ゴルフトーナメント、ゴルフイベントのプロデュースを行う事で、ゴルフコース設計の重要性を認識し、ゴルフ場設計にも関わる。
1999年 住友ゴム工業㈱および㈱ダンロップスポーツエンタープライズを退職退任
㈱ターゲットパートナーを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
現在の主な役職
公益社団法人 ゴルフ緑化促進会 理事長(2007年 就任)
日本ゴルフ関連団体協議会 常任理事(2007年 就任)
NPO法人 日本芝草研究開発機構 副理事長(2008年 就任)
㈱サイプレスクラブ 代表取締役社長(2003年 就任)
南部富士㈱ 取締役(2002年 就任)
ゴールドウイン開発㈱ 顧問(2006年 就任)
ゴールデンバレーゴルフ倶楽部 評議員、理事、キャプテン(2008年 就任)
千刈カンツリー倶楽部 アドバイザー(2014年 就任)
サンコー72カントリークラブ 顧問 (2014年 就任)
魚津国際カントリークラブ 顧問 (2015年 就任)
メモリアルトーナメント・キャプテンズクラブ(USA) メンバー(1985年 就任)
主な著書
Golf World & Nippon(2009年5月)
温故知新(2006年6月)
ゴルフ雑記帖(2000年10月)
青木功の諦めないで自分を変えろ(1998年3月)
ゴルフボール-その飛びの秘密(1986年12月)