「五輪のゴルフ」で想ったこと

その国の土に植えられた種は、その土壌に見合った果実をつける。リオ五輪を見て思ったのは、そのことだ。

柔道選手の耳は、水餃子のような形をしている。激しい奥襟の争奪によって生じた奇体であろう。競泳選手の体型は、均整がとれた逆三角形の筋肉の上に、薄い脂肪層を乗せている。そのほうが、浮力がついて泳ぎやすいからだろう。同じく水競技のシンクロ選手は、一切の脂肪層を排して針金のように尖っている。そのほうが沈みやすく、競技を有利に運べるからだろう。体操・内村航平の顎のラインは鋭利な刃物のようで、大根をスパッと切れそうだ。上半身の隆々たる筋肉は、その競技が如何に過酷な姿態を人間に要求しているかを物語る。

その競技に身を投じた選手の体躯は、その競技に見合った形に出来上がる。

シンクロの三井梨沙子は、一日15時間に及ぶ筋トレ中心の日々をこう語った。「毎日が本当に地獄でした。もうダメ、限界だと思っても、その先に本当の限界があって、次の日にはまた、その先の新しい限界がある。それを毎日繰り返しました」。同じくシンクロの乾友紀子は「練習の後半になると、脳味噌が小さく萎んでいく」錯覚に陥ったという。

我々言葉稼業の者にとって、トップアスリートが漏らす本音は色とりどりの光彩を放つ宝石のようだ。特に競技直後の表情と言葉は、置かれた状況の過酷さを率直に表わして興味深い。卓球女子の団体戦で銅メダルを決めた直後、福原愛は泣きはらした真っ赤な目と鼻でこう言った。「苦しい苦しいオリンピックでした。本当に足を引っ張ってばかりで、昨日も一昨日も後悔することばかり。今日は本当に、死ぬ気でいきました」

体操団体で金を取り、6種目すべてに参加した内村航平は個人戦で、激しい腰痛に苦しんだという。あまりの痛みで「棄権することも考えましたが、この舞台でそんなことが許されるのか。もう、壊れてもいいと思って出場しました」

女子レスリングで四連覇を阻まれた吉田沙保里は、直後に激しく泣き崩れて何度も「すみません」を繰り返したが、後日落ち着きを取り戻すと「今回の負けは、これまで味わったことのない経験なので、素晴らしい経験をさせてもらいました」――。負けて見えた景色とは、一体どんなモノだったのか? 我々凡人は想像する術もないのだが、今後指導者になるかもしれない彼女にとっては豊かな収穫になるのだろう。

 

ゴルフの体質

 どの競技であれ、五輪の代表選手は等しく「日の丸」を背負っている。しかし、背負う「日の丸」の軽重(けいちょう)は、選手によって格段に違うはずだ。柔道選手が背負う「日の丸」と、ゴルフ選手の「日の丸」が同じ重さであるはずがない。なぜなら、柔道選手は五輪切符を得るまでに過酷な予選を勝ち抜いて、安堵する間もなくメダル獲得の「義務」を負う。一方、五輪候補の上位者が軒並み棄権して、たらい回しのように得たゴルフの五輪切符が、同じ重さであるはずはないからだ。

とはいえ、ゴルフの日本代表を批難するつもりは毛頭ない。代表選手や派遣団の関係者には「ご苦労さまでした」と労いたい。ただ、労いはするが、ゴルフの五輪選手からは感動や興奮を一切味わうことがなかった。

「日の丸」をブラジルの空に掲げ、その足で全米オープンへ向かった錦織圭。400mリレーで、日本人が世界で二番目に速い民族となったあの瞬間。ゴルフはそれらと比肩すべくもなく、淡々と始まり淡々と終わった。そして、そのように映るのは、仕方ないと思えるフシもある。ひとつには、ゴルフが放つ特有の空気感が原因しているのかもしれない。

ゴルフは選手寿命が長く、また、競技方式も4日間と長いため、一瞬でケリがつく短距離走などと比べて緩慢に映る。その上、競泳選手がパンツ一丁で競う反面、ゴルフ選手は従者のようにキャディを伴い、荷物運びから道具の手入れ、削った地面の修復やボール拭きに至るまで、細々した雑事を頼っている。キャディが戦略的パートナーであったとしても、体ひとつで凌ぎを削る他の競技者との見栄えにおいて、放つ彩光が悉く鈍い。

日本のゴルフ選手が「日本のゴルフ風土」に実った果実だとすれば、そのことも特有の空気を漂わせる遠因と思える。エリートジュニア時代に裕福なおとなのゴルファーと接し、名門と呼ばれる倶楽部に足を踏み入れて、この段階でまず老成がはじまる。ツアープロになると大会ごとに、前夜祭等で地元の美味を振る舞われる。だから窮屈な選手村には入りたくない、と思うのは当然だろう。防弾ガラスのクルマを借りて、宿とコースを往復するといったことが紙面で取り上げられる。

五輪好きの日本人が、五輪のゴルフにさほど興味を示さないのは、どことなく漂うバブル的な残滓を鋭敏に嗅ぎ取るからだろうか。つまり五輪は、ゴルフという競技が何者であるかを、他のスポーツとの比較においてわからせてくれる。老若男女が等しく遊べ、接待やデートにも使えるゴルフ。良し悪しではなく、ゴルフとはそういうものだと印象づけられる。

 

ゴルフはスポーツだ!

  それでもゴルフはスポーツだと、五輪種目の採用を機に業界団体が主張する。殊更のように主張するのは、「贅沢税」ともいえるゴルフ場利用税がしぶとく延命を図っているからで、「スポーツ」への課税はケシカラン、廃止せよと声高に叫ぶ。五輪参加は、ゴルフがスポーツであることの裏書であり、利用税廃止の同意をゴルファー以外の国民から取り付ける好機でもあった。

むろん、そのような事情を五輪代表に押し付けるいわれはない。どの競技であれ、代表選手は身体の限界に挑戦し、一瞬の輝きを放って散っていく。その鮮やかさが見る者に「スポーツ観」を植え付ける。業界団体が殊更に「ゴルフはスポーツ」と騒がなくても、ゴルフ競技がそうであればいいのである。

こんなことを夢想する。東京五輪のゴルフ競技を「担ぎ」でやったらどうだろう。選手自らキャディバッグを担ぎ、風雨の中を颯爽と歩く。雨に打たれながらバンカーを均し、穴を埋め、くたびれたタオルで顔を拭う。雨中のグリーンで傘をさしかける従者はなく、肝心のパットを外しても、一人で無念を払うしかない。その様が、ゴルフは自然との対峙でありながら融和でもあり、自分ですべて処する厳しいスポーツだとわからせる。この競技本来の厳しさを、大多数に伝えられるのではないか。

2020年の東京大会、「担ぎはイヤだから参加しない」という選手が相継げば、ゴルフにとって五輪とは、それだけのことでしかない。

ABOUTこの記事をかいた人

片山 哲郎

1962年8月3日生まれ、東京都出身。「月刊ゴルフ用品界」(GEW)を発行する株式会社ゴルフ用品界社の代表取締役社長兼編集長として、ゴルフ用品産業及びゴルフ界全般の動向を取材、執筆。2014年4月に日本ゴルフジャーナリスト協会の会長に就任(現任)。ほかにインタラクティービ(J:COM)番組審議会委員(現任)、ゴルフ市場活性化委員会マーケティング委員(現任)、大学ゴルフ授業研究会理事(現任)。信条は「人の至福は健康で長生きすることであり、これに寄与できるゴルフは『善』である。善なるゴルフ産業が健全発展するために、建設的な批判精神をもち、正確、迅速、考察、提言を込めた記事を書く」――。