日本でトーナメントコースは、いくつある?

誰もが、びっくり仰天した今年の全米オープン。一歩足を踏み入れたら「ここは全英オープン会場?」と疑いたくなる光景が広がっていた。テレビ解説のために、毎回メジャーコースの現地へ、弾丸ツアーを決行し、直行直帰でスタジオ入りする内藤雄士プロコーチも、驚きを隠せなかった。
僕もテレビ観戦していて、いろいろ考えさせられることが多かった。そう、思えば全米オープンの開催コースのセッティングが、その時代のコース、そしてセッティングのマニュアルになってきた。かつては、膝までの深いラフ。極端に狭いフェアウエイ。その後、アスファルトのような硬いグリーン。そして、今度は逆にフェアウエイをやや広く使って、ファーストカットでもフェアウエイから傾斜をつけるアイデア。つぎにドライバブル(ドライバーで1オン可能)なパー4のホール。そこでは、リスクと報酬というゴルフゲームの基本を象徴した。
同一ホールでの距離の変容。ティグランドを前や後ろに動かして距離を変える。昨年のパインハーストでは、ラフがなくなりウエストエリアとした。
そして今年は、リンクスと見間違えるような風景。高低差もたっぷりあり、日によってパー4がパー5にというフレキシブルな発想や、グリーンの周辺の形状を巧みにつかって、奥からボールを戻してカップを狙うようなイマジネーションをそこかしこで要求するセッティング。技量だけでなく、どれだけ立体的にイマジネーションとクリエイティブな攻め方ができるか、という方向性が強くなった。

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面白いもので、同じホールでティグランドが変わったり、パー4からパー5。あるいはその逆ということだけで、選手の感覚が大きく変わる。体に染み付いた距離感が、逆に邪魔するからだ。けれども、逆に、トーナメントのゲームの流れ的には、単調にならない。つまり、人為的にゲームの流れを演出できるわけである。
これもコンピュータ的発想なのかも知れない。経験則と理論だけでない新感覚だ。
ゴルフで、よくビジュアライゼーション(可視化)という言葉を使うけれど、3Dのコンピューター化されたイメージが、より要求されてくるのかもしれない。
ピンに向かって直線的な攻め方ができないという感覚や、ビジュアライゼーションを養うには、そういう舞台がなければならない。
もうひとつ、逃げ場を与えないというコース設計とセッティングだと感じた。まさにNO WAY OUT……。叡智を尽くして挑戦するしかない、というものだ。

今回の全米オープンを観て、強く感じるのは、日本と世界の彼我の差である。僕たちは、もっと選手が頑張らないと、選手の技量が低いとかいろいろ言ってしまうけれど、それは逃げ口実のひとつでしかないと思う。

最近、横串という言葉がよく使われる。それは縦割り社会ではすでに弊害がありすぎる、その縦割りをひとつに束ねて結集させていくという意味だ。個と個を束ねる統合学の発想だ。
もういちど、日本の男子ツアーを振り返ると、その横串がないこと。コース選定でも、全トーナメントとはいわないけれど、選手のスキルを上げるに足るコースで開催することだ。しかも、セッティングの重要性を最大条件にする必要があると思う。
全米ゴルフ協会のセッティングチームが最高だと思わないけれど、少なくともいまの世界レベルの主流である。そういうところで学ぶことと、それが反映できる環境にする必要がある。

難しいイコール選手いじめ、という短絡的な思考では、時代遅れだ。コースがつまらなければ、ゲームは面白くならない。選手も成長しない。選手が成長しなければ、世界へ羽ばたけないし、注目度も低くなる。

そこで提案です!
一度、有識者が集まって「日本のコースでトーナメントをやるに足るコースの条件と選定」というブレストをやって欲しい。条件に足るコースを選定し、ベスト10なりを決めて、しかも、そのコースを前提にして、トーナメントコースのセッティングは、こうあるべきだという未来予想図を提供して欲しいと思う。
みんなで考える。知恵を絞る。研究する。模索する。なにが足りて、何が足りていないのか。まったくダメなのか。再発見と再構築。みんなが興味を持ち、知識を蓄え、その上で選手の是非を問う。
その根本からの洗いなおしが、いま必要だと思う。

(2015/6 ゴルフトゥデイ掲載)

ABOUTこの記事をかいた人

三田村昌鳳

1949年2月24日神奈川県逗子市に生まれ。立正大学仏教学部を経て、週刊アサヒゴルフ副編集長ののち、1977年に独立。著書に「タイガー・ウッズ伝説の序章」「伝説創生」など。2011年春に「ブッダに学ぶゴルフの道」(中央公論新社)を発売。日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員。日本ゴルフ協会オフィシャルライター。日蓮宗の僧侶。

主な活動・著書
「タイガー・ウッズ伝説の序章」「伝説創生」など