オリンピックでのゴルフ

7月11日にリオに参加するトッププロの名前が発表されることになっています。

ところがマキロイまでもが不参加を検討しているとのこと。世界ランクの60位の内10名近くがいない大会になる可能性もあります。
オリンピックにゴルフ参加が決まった経緯の1つには世界のトップが全員出るから、TV視聴率が上がるとの思惑があったと聞いています。
オリンピック委員会はガッカリする事でしょう。

欠場したい理由は明確です。
・リオが遠隔地であること。
・治安が悪そうだということ。
・ジカ熱などが心配ということ。
これが表向きの理由です。

さらにオリンピックは本来アマの大会ですから、宿泊設備などの選手村にしても世界のトッププロの普通の待遇ではありません。

その上、ドーピング検査が面倒なのだそうです。ゴルフにドーピングは無いと思いますが、突然の検査のためにいつどこにいるか?などの報告をしておかねばならないそうです。

しかし、それ以上の本当の理由があります。
それは日程上の問題です。

オリンピック前に一度は勝ちたいメジャーの全英オープンと全米オープンがあり、オリンピックのあとには米国ツアー最大のイベント、FEDEXが4週間あります。
その優勝者には約12億円の賞金がかかっています。すでに多くの賞金を稼いだプロにとっても賞金の無いオリンピックとどう比較するでしょう。

まさにプロとアマの世界の違いがあります。しかし、強さが増す松山英樹にとつてはチャンスです。体調の維持に成功すれば、金メダルもあると予測します。

さて、2020年オリンピックの方が気がかりです。あれだけ「おもてなしの心」を叫んで東京へ招致したのに
「おもてなしの心」が重視されているでしょうか?

少なくとも「ゴルフ」では参加選手に対する「おもてなし」がありません。
現状では世界のトッププロがモチベーションが上がる体制を作れているとは考えられません。

霞が関は1957年カナダカップで中村寅吉プロが個人優勝し、日本のゴルフブームを招いたことは歴史上の事実です。
それだけに8月でなければ、万難を排して、ここで開催すべきでしょう。

しかし、酷暑の霞が関であり、東京からの交通を考えると、
・世界のトップがどう判断するか?
・世界に認められるオリンピックのゴルフになるかどうか?
私には疑問です。

今からでも間に合うことですから、それぞれの利害を捨てて真摯に話し合うべきと思いますが、
いかがでしょう・・?

ABOUTこの記事をかいた人

1937年兵庫県西宮市生まれ
1995年 関西学院大学商学部に入学。大学時代ゴルフ部キャプテンとして関西リーグ戦に優勝。
1959年 関西学院大学を卒業し㈱日本ダンロップ(現:住友ゴム工業㈱)に入社。
ゴルフボールの販売推進を第一歩に、ゴルフ用品の商品開発に従事するなど、ゴルフビジネス一途に専従する。
1973年 ㈱ダンロップスポーツエンタープライズの創設と同時にゼネラルマネージャーとして出向。
1975年 同社取締役就任、1982年 同社常務取締役就任。
1986年 住友ゴム工業㈱及び㈱日本ダンロップに帰属し、スポーツ用品副事業部長。1988年 取締役
スポーツ事業部長。1991年住友ゴム工業㈱常務取締役に就任。
1994年 ㈱ダンロップ スポーツ エンタープライズ代表取締役副社長。
1998年 同社代表取締役社長に就任。
住友ゴム工業およびダンロップスポーツエンタープライズ在籍中、トーナメントディレクターとして約300のプロゴルフトーナメント、テレビマッチやゴルフレッスン番組など約600本を企画運営する。1973年よりテレビ解説を始め、約350本のTVマッチ及びダンロップ
フェニックストーナメントなど約150本以上のトーナメント解説を行う。
ゴルフトーナメント、ゴルフイベントのプロデュースを行う事で、ゴルフコース設計の重要性を認識し、ゴルフ場設計にも関わる。
1999年 住友ゴム工業㈱および㈱ダンロップスポーツエンタープライズを退職退任
㈱ターゲットパートナーを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
現在の主な役職
公益社団法人 ゴルフ緑化促進会 理事長(2007年 就任)
日本ゴルフ関連団体協議会 常任理事(2007年 就任)
NPO法人 日本芝草研究開発機構 副理事長(2008年 就任)
㈱サイプレスクラブ 代表取締役社長(2003年 就任)
南部富士㈱ 取締役(2002年 就任)
ゴールドウイン開発㈱ 顧問(2006年 就任)
ゴールデンバレーゴルフ倶楽部 評議員、理事、キャプテン(2008年 就任)
千刈カンツリー倶楽部 アドバイザー(2014年 就任)
サンコー72カントリークラブ 顧問 (2014年 就任)
魚津国際カントリークラブ 顧問 (2015年 就任)
メモリアルトーナメント・キャプテンズクラブ(USA) メンバー(1985年 就任)
主な著書
Golf World & Nippon(2009年5月)
温故知新(2006年6月)
ゴルフ雑記帖(2000年10月)
青木功の諦めないで自分を変えろ(1998年3月)
ゴルフボール-その飛びの秘密(1986年12月)