日本のプロがメジャーで通用しない理由

「こりゃあダメだ!」テレビの画面を見た瞬間、思わず絶望的な言葉が口を突いて出た。今年の全米オープンの舞台米国ワシントン州シアトル郊外のチェンバーズベイGC(R・T・ジョーンズJr設計)の映像を見た瞬間のことだった。ほとんど知られてないコースだったが、画面を見ただけでこれがゴルフコースかと身震いするような景観が次から次へと映し出される。まるで砂漠の中に造ったのではというように、無数のバンカー群の間を縫うようにホールが続く。いたるところにマウンドがあり、びっしりと生い茂るフェスキュー(細くて長い芝)が、コース中を覆い尽している。 大きくて波のようにうねるグリーンはどこが境界線だかわからず、コース内に木はまったくない。(15番奥に1本だけある)スコットランドのリンクスのような雰囲気だが、それより更に殺伐とし、まさに荒野のような風景が広がる。

大甘環境で育った日本のプロでは通用しないメジャーの舞台

日本の手入れの行き届いた箱庭のような風景に慣れている我々には、まるで異次元の世界。「こりゃあダメだ!」という最初の感想は、そんなコースに慣れきっている日本のプロが技術的にも、メンタル的にも歯がたたないだろうという、一種の絶望とあきらめ、更にはゴルフに対する概念のあまりの差にショックを受けたためだ。そしてそのショックの根源となったのは、こんなサディスティックなコースが公営のパブリックという事実だった。考えてもみてほしい。会員制でもないそれも市が税金で造った公営のゴルフ場で、市井のゴルファーが文句もいわずに(多分)プレーしている現実だ。これが日本の場合、会員制ゴルフ場だったら、会員がとても承知しないだろうし、事実コースが少しでも難しいと会員の非難の大合唱で易しく改造するところが多い。またパブリックだったら誰も行かなくなるだろう。「易しく、いいスコアで回れるのがいいコース」そんな風潮がはびこっているからだ。そしてそんな環境で育ったプロは、大会でラフを伸ばし、グリーンを高速にしただけでブーイングの嵐。またJGTOやLPGA、JGAといったゴルフ団体も、バーディが多発する易しい設定がファンを喜ばせると大きな勘違いをしている。

公営のパブリックコースで全米オープンを開催する米国の良心

話しを全米オープンに戻そう。大会はこんなタフなコースを更にサディスティックにする。なんと18ホールのうち500ヤードを超えるパー4のホールが5ホールもある。最難関の14番はなんと546ヤードでパー4の大会最長記録を更新。1番と18番は日によってパー5にしたり、パー4にしたりとこれも日本では考えられない設定。だから全長は日によって7390ヤードになったり7827ヤードになったりする。コースレーティングは77・3で、昨年米ツアー最難関といわれた全米プロのコース、バルハラGCの76・1を超えた。距離が長く、それでいてバンカー群や膝まで隠れるフェスキューのラフが待ち構える。更にホールによって30メートルもの高低差があり、ポアナ芝のグリーンは硬くて、とんでもないうなりがあり、90度近く曲がったり、落としどころによってグリーンの外へ転がり落ちる。さすがにこれだけ難しいと選手からの文句も多発したが、優勝したジョーダン・スピースや2位のダスティン・ジョンソン(共に米国)らは何の文句も言わず、黙々とプレー。その姿はさながら修行僧のようにも見えた。

日本から参加した藤田寛之、薗田俊輔、川村昌弘らはこんな過酷な設定に耐えられるはずがなく当然ながら予選落ち。石川遼も技術はおろか体力、精神力も持たずあえなく予選落ち。わずかに米ツアーで活躍する松山英樹が善戦したものの、優勝のスピースから8打差の18位タイに終わった。松山といえども、日本の甘い環境で育った垢は簡単に落とせないという事実を暴露した結果になった。

もっと驚くのは、USGA(全米ゴルフ協会)というオフィシャルの団体が、世界的なメジャーをパブリックコースで開催するという事実である。権威ある団体なら普通は歴史や伝統のある名門コースでやりがち。だがUSGAはそんな枠に捉われず、メリオンやシネコックヒルズという名門でも開催するが、過去トーリーパインズ、ベスページステートパーク・ブラックという公営パブリックでも開催し、公営ではないがペブルビーチGLなどパブリックでも度々開催している。そして今年はオープンしてまだ10年にも満たないチェンバーズベイである。それどころか今後2021年まで1年置きに公営のパブリックコースでの開催が決定しているという。「ゴルフを広く普及させるために、名門、公営にかかわらず交互に開催する」というのがUSGAの方針だ。

権威主義が先行し、ゴルフの普及に無関心なゴルフ団体

日本のJGAが主催する日本オープンなどでこんなことはありえない。毎年名門コースをたらい回し。「ゴルフの普及・活性化」と口では唱えながら、加盟コースの理事長クラスがJGAの役員をしている名門クラブでの開催から一歩も抜け出ようとしない。それも世界的にみたらイビツに映る2グリーンのコースがほとんどだ。おまけにサブグリーンに乗った球はゼネラルルールでは無罰で外にドロップを無視し、そのまま打たせるというデタラメルールに固執(メンツもあって)。50年以上たってようやく正規のルールを採用するようになったが、JGTOもLPGAもこれに従わず、世界の物笑いになるダブルスタンダードルールを続けている。ゴルフの普及や、アマチュアの啓蒙などどこ吹く風だ。もっともパブリックで開催といっても日本にはチェンバーズベイやベスページ・ブラックのような身の毛もよだつようなコースはない。冒頭でも説明したように、日本は「やさしく、いいスコアで回れる」のがいいコースという風潮があるからだ。

甘い蜜に慣れて謙虚さを失った日本のプロ

そんな中で若いときからいいスコアで回り、高をくくってプロになる連中はゴルフを舐めて傲慢になり、様々な問題を起こす。ルール違反もしくはすれすれの行為をしても何のお咎めを受けなかったジャンボ尾崎。ときには気に入らないコースをボロクソに批判したこともあった。米ツアー参戦前の丸山茂樹は思うようにいかないコースを「ションベンコース」と罵って罰金を取られたこともあった。尾崎や青木の後、賞金王を何度も取った片山晋呉は今でもプレー中に平然と葉巻をふかし、昨年初の賞金王になった小田孔明はいくら注意を受けても、禁止の喫煙プレーを止めようとしない。すべてに甘い環境で育った日本のプロに“謙虚”という言葉はまったく無縁といっていい。だから、自分の思い通りに行かないコースに遭遇すると、技術はおろか、それに耐える精神力も続かず崩壊してしまう。それが毎度のようにメジャーで露呈されてしまうのだ。

1920年代に活躍したアメリカのコース設計家ロバート・ハンターはこう言っている。「思うに、おそらく最初のゴルファーたちは、自然との激しい戦いを愛する船乗りを業とする人たちであったに違いない」困難や試練を乗り越えるのがゴルフ。それがゴルフゲームの真髄であり、コースの姿なのだ。また「ゴルファーの信条」という本を書いた英国のデービッド・ロバート・フォーガンは「ゴルフは勇士のごとくプレーし、紳士のごとく行動するゲームである」と。欧米の一流プロを見るとまさにこの言葉を彷彿させる。それも人智を超えた過酷なコースがそうさせるのだ。

パブリックコースでさえ、ゴルファーの限界に挑戦するような造りが当たり前。そこに日本と欧米のゴルフに対する概念の大きな違いを見せる。日本のプロがメジャーに弾き返させられるのを見るにつけ、彼我の差を感じさせられる。

「コースは人を育てる」の意味をゴルフ関係者はもっと真摯に受け止めるべきだ。

ABOUTこの記事をかいた人

宮崎 紘一

スポーツ紙記者を経て、フリーのゴルフジャーナリストに転身。また現在「月刊ゴルフレビュー」を発行。共同通信社のゴルフコラム「ティーアップ」を現在まで16年掲載中。プレジデント、ZAITENなど経済誌にも辛口評論を連載。日刊ゲンダイ、週刊現代、週刊文春、徳間書店などのコメンテーターも努める。ゴルフ好きでは誰にもひけを取らず、そのため「ゴルファー目線でゴルフ界にもの申す」が信条。(有)ジーエフ企画代表取締役。