優秀賞 「幻のハイキングコース」 ~斎藤 良雄~(日本ゴルフ100年祭記念論文)

パパ〝ゴルフ〟ボクたち ハイク〟こんな新聞の見出しが新しい試みを発信していた。28年前(1973年7月)のこと。栃木県内のある町に進出した造成業者が、町当局と結んだ「ゴルフ場設置に関する協定」の中に、イキな項目があったという内容。残念ながらゴルフコースは出来上がったものの、ハイキングコースは幻に終わった。ただ、地域に溶け込もうとする心意気は、今でも注目に値する。
協定は10項目あり、災害防止を柱にし、ゴルフコースの周囲にハイキングコースの併設などを盛り込んでいた。費用はざっと8500万円。全額業者が負担する計画。総延長約6キロメートルに幅2メートルの遊歩道を造り、あずま家や史跡案内板を整備、町民にも開放する予定。町は付近をレクリエーション地域に指定する計画があり、一も二もなく受け入れた。業者の責任者は「これからのゴルフ場はプレーをしてもらうだけでは駄目。家族ぐるみで一日楽しく過ごせる施設でなければ、ゴルフ場の乱立に勝てない」ときっぱり言っていた。
その後、ゴルフ場はオープンしたものの、ハイキングコースの設備投資は日の目を見ないまま。「栃木県内初のケース」は実現しなかった。そればかりか、経営者が変わり看板も新しくなった。ただ、持ち主会社は同じで、町では「付近の観光開発を今は考えていません」と静観の構え。協定は生きており、今後も楽しみだ。
ゴルフ場と住民の関係は海外ではどうだろうか? 興味深い。ドイツ北部のゴルフ場をのぞいて驚いた。ある日の午後、クラブハウスの庭で老若男女が集まり、若いカップルを囲んでいた。華やいだムードから結婚式の披露パーティーとわかった。乗馬クラブも併設され、誰でも使える会議室もあり、コミュニティセンターの役割を果たしていた。
広大な土地を特定の業者が、占有するのは地元にとってマイナス。こうした視点に立ち、行政側は「クラブハウスの地元開放」を業者に指導してきた。ところが、80年代のゴルフ場乱立、90年代のバブル期と豪華さを競う建物の一つとして、クラブハウスが位置づけられていた。調度品が有名な美術工芸品だったり、大理石造りの玄関と、公民館のような気軽さはとても望めない環境になってきた。ゴルフを遠ざけてきた一方で、理解されることも押しやった。
どうしたらいいのか。ちょっとした気配りで、大きな効果をもたらすことがある。クラブ内の浴室を住民に開放したらどうだろう。温泉ならなお結構。農繁期に試みているゴルフ場がある。「疲れがとれる」と、農家の人々に好評だった。わずかな突破口でも交流の輪が広がるはず。スポーツの隆盛は身近なギャラリーの理解を得て成し遂げる。ゴルフとて同じこと。いくら速効性があるとはいえ、プレー費の値下げだけに活路を見い出そうとするのは歪んだ商業主義。経営者側は今こそ足もとを見直すべきだ。手あかのついたプランでも、もう一度考えてみよう。共存共栄を永遠の課題にしてはいけない。