優秀賞 「まず、ゴルフ場の開放から」 ~後藤 順~(日本ゴルフ100年祭記念論文)

以前、プロゴルファーの青木功さんが、あるテレビインタビューで次のようなコメントを言っていた。
「僕は子供たちにゴルフがうまくなるより、誰にでもあいさつしろと教えている。それに、友達をたくさん作れとも」
彼は、シニアツアーで活躍している反面、毎年夏休みにボランティアとして子供たちを指導している。このことは、アメリカのプロゴルファーたちが社会的に地域社会での指導者としての認知されている事実と重なる。
つまり、ゴルフを通して、子供たちを教育する立場にいるわけだ。教育的価値が認められ、ジュニア教室を開く多くのプロゴルファーがアメリカにはいる。
それは、米国でも英国でも、ゴルフ場が子供たちに開放されているからだ。確かに、我が国においても、一部のゴルフ場や企業主催の「ジュニアゴルフ」が行われているが、その裾野はあまりに狭い。サッカーや野球のように身近にあるものではなく、多くの子供たちにとっても、縁遠いものになっている。ゴルフがスポーツとして受け入れられる土壌が枯渇している。
そのためには、是非とも、ゴルフ場を開放することから始めないと先行きは暗い。
例えば、有料でのコンペが終了した後に、子供たちを芝の上で自由にプレーさせたり、安いコース料金で子供たちに練習時間を与えたりすることによって、彼らがゴルフのサポーターになったり、ゴルフ選手としての実力を養成できるのではないか。そのために、レッスンプロやインストラクターを養成する機関も必要になってくる。これまでの一部の英才教育的なジュニア養成の枠を広げて、次期を担うゴルフ選手をプロ・アマとの区別ではなく、その底辺を広げることが、ゴルフがスポーツとして受け入れられる最低の条件ではないか。
今日のプロサッカーが、その組織作りに子供たちの育成組織を基盤として考えていたり、プロ野球が、甲子園を目指す球児たちがその予備軍として活躍している姿は、ゴルフがスポーツとして国民に認められるための、見本としての土壌づくりに映る。
現在、ジュニアゴルフの企画は方々で始まっている。ゴルフ関連の組織もそれを応援はしているが、高価なゴルフ用品のあり方がどうしてもスポーツとしての発展性に欠ける。サッカーが全世界で愛好される理由の一つに、貧乏な国でも一つのボールで数十人が楽しめる要素があるが、ゴルフにはその点が欠けている。それを克服するためには、大人たちが使い古しの道具を提供したり、もっと安い道具を開発する企業が求められる。
スポーツをするのに、道具だけでも数十万もかかるのでは決して普及などしない。サッカー場の数倍の広さも問題だ。スポーツと呼ばれるためには、国民の多くが気軽に参加できるハードルがある。そんなことを果たしてゴルフは可能になっているのか、ゴルフ関係者のより厳しい努力が求められている。