JGTOの構造改革

【この記事は2019-1-8に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】

私は2016年3月から2年間、JGTOの副会長として、政策委員会で各種のシステムについて審議、マッチプレーの企画などを担当させて頂きました。

その間、2017年4月に米国PGAツアーのトップと3日間の会議をし、その結果、米国との10年契約が生まれましたが、米国からJGTOについても各種の質問もありました。

その中で私の印象に残った質問は

「JGTOの5年計画は?」
「何故多くの選手が理事になっているのか?」

でした。

当時のJGTOには5年計画はなく、私の原案を政策委員会で審議したいと思案中でした。

JGTOは日本プロゴルフ協会から分離独立してからすでに約20年を経過していますが、長期計画はない状況でした。

長期計画を作成するためには将来の世界のゴルフツアーがどうなっていくのかを見極め、その中で日本ツアーのあり方を推定することが不可欠です。

さて、なぜ長期計画がなかったのか?

それはJGTOには将来の見通しが無いからです。

JGTOは株式会社でもなく、組織として計画を実行していく体制ではありません。

米国ツアーから質問が出た

「理事になぜ選手が多いのか」

という疑問が組織の問題点を指摘しています。

現在のJGTOの理事は選手会の選挙によって選ばれる体制になっています。
本来、選手の役目は与えられたトーナメントで魅力あるプレーをし、ファンに受け入れられることが任務です。

そんなトーナメントを作り、選手が輝けるようにする仕事こそJGTOの仕事です。

現在の組織は株式会社でもなく、責任を取るべき代表者がいません。

先般の理事会でも8千万円の投資を行う計画が誰の反対もなく決議されたと聞いているが、8千万円はJGTOの財政から見て大きな資金であり、更に真剣な検討を重ねないと、無責任体質だと言わざるを得ません。

この8千万円が有効に使われ、効果を生まない場合の責任は誰にあるのか等々考えれば考えるほど、現在のJGTOの構造を改革することを何を置いても最優先されなければなりません。

例えば、JGTOを会員制のゴルフクラブだとしたらクラブ会員を取りまとめる理事会は今の選手会でよいが、JGTOを運営、経営する執行部として企業組織が必要だという事になります。

それには、改革を進める体制を整え若くて新しい感覚を持った経営者がトーナメントの歴史を知り、新たなツアー作りをすることが重要なテーマではないかと考えています。

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ABOUTこの記事をかいた人

1937年2月10日、兵庫県西宮市生まれ
1995年 関西学院大学商学部に入学。大学時代ゴルフ部キャプテンとして関西リーグ戦に優勝。
1959年 関西学院大学を卒業し㈱日本ダンロップ(現:住友ゴム工業㈱)に入社。
ゴルフボールの販売推進を第一歩に、ゴルフ用品の商品開発に従事するなど、ゴルフビジネス一途に専従する。
1973年 ㈱ダンロップスポーツエンタープライズの創設と同時にゼネラルマネージャーとして出向。
1975年 同社取締役就任、1982年 同社常務取締役就任。
1986年 住友ゴム工業㈱及び㈱日本ダンロップに帰属し、スポーツ用品副事業部長。1988年 取締役
スポーツ事業部長。1991年住友ゴム工業㈱常務取締役に就任。
1994年 ㈱ダンロップ スポーツ エンタープライズ代表取締役副社長。
1998年 同社代表取締役社長に就任。
住友ゴム工業およびダンロップスポーツエンタープライズ在籍中、トーナメントディレクターとして約300のプロゴルフトーナメント、テレビマッチやゴルフレッスン番組など約600本を企画運営する。1973年よりテレビ解説を始め、約350本のTVマッチ及びダンロップ
フェニックストーナメントなど約150本以上のトーナメント解説を行う。
ゴルフトーナメント、ゴルフイベントのプロデュースを行う事で、ゴルフコース設計の重要性を認識し、ゴルフ場設計にも関わる。
1999年 住友ゴム工業㈱および㈱ダンロップスポーツエンタープライズを退職退任
㈱ターゲットパートナーを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
現在の主な役職
公益社団法人 ゴルフ緑化促進会 理事長(2007年 就任)
日本ゴルフ関連団体協議会 常任理事(2007年 就任)
NPO法人 日本芝草研究開発機構 副理事長(2008年 就任)
㈱サイプレスクラブ 代表取締役社長(2003年 就任)
南部富士㈱ 取締役(2002年 就任)
ゴールドウイン開発㈱ 顧問(2006年 就任)
ゴールデンバレーゴルフ倶楽部 評議員、理事、キャプテン(2008年 就任)
千刈カンツリー倶楽部 アドバイザー(2014年 就任)
サンコー72カントリークラブ 顧問 (2014年 就任)
魚津国際カントリークラブ 顧問 (2015年 就任)
メモリアルトーナメント・キャプテンズクラブ(USA) メンバー(1985年 就任)
主な著書
Golf World & Nippon(2009年5月)
温故知新(2006年6月)
ゴルフ雑記帖(2000年10月)
青木功の諦めないで自分を変えろ(1998年3月)
ゴルフボール-その飛びの秘密(1986年12月)