スポーツの変革 7「選手たちの自覚」

【この記事は2018-10-26に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】

2016年3月に選手会からの要請を受けて、男子プロツアーの再生を図るため日本ゴルフツアー機構の理事・副会長として活動して来ましたが今年9月末をもって辞任しました。

実を言うと、今年3月に理事に再選されたのですが、青木会長からISPSの担当から外れるように要請があり、同時に政策委員会もなくなりました。
そんなことから、私の任務もなくなりましたので、辞任したというわけです。

さて、任期中の主な仕事は、
①政策委員会を立ち上げ、16回の委員会を開催し、政策をまとめたこと。
②ISPSマッチプレーの企画、運営を担当し、若い選手にマッチプレーの厳しさを経験してもらったこと。
③米国ツアーとの折衝をして、10年契約を結んだこと。

が、挙げられます。

その結果、ツアーにとってプラスになったことは
●日本には男子プロの飛距離に見合うコースがないので、現状のコースをコースセッティングで難度を上げたこと。
●米国との提携によって、2019年には米国ツアーの1つが日本開催になること。
●ISPSは半田会長のご理解を頂き、2018年の最高賞金大会を開催できて、若い選手にマッチプレーを経験してもらったこと。

であります。

現在のツアーは株式会社でもなく、役員人事も選手会の権限で決まります。

そもそも選手はステージの上でゴルフファンが求める華やかなプレーをすることに専念しなくてはなりません。
選手の活躍が光るようなステージを作るのはそれぞれの主催者であり、プロデューサーの仕事ですから、ステージの上と下は別の組織が必要です。
米国では執行部が選手の意見を聞きますが、執行する組織に選手はいません。

男子プロ再生のためには次のことが重要です。

★ゴルフ界は、ゴルフ場の売上高などすべての部門で、1990年の半分になっていますが、そういう状況下においても賞金総額が同じ程度で留まっていることへの感謝の気持ちを持つこと。
★TV視聴率が低く、観衆も少ない中で、選手たちは何をすれば良いのかを、深く考察すること。

どうすれば、良いステージを作れるか、よく考える時です。

世界との大きな力の差がある現状をいかに克服し、日本ゴルフ界に必要なプロゴルフにするには選手の自覚が必要です。

1 個のコメント

  • 話の内容はプロゴルファーのためにするべきこと。解決してください。一般ゴルファーにはプレー料金がそのために下がらい。高い遊びには若い人は連れていけないのです。レッスンプロも然り気分屋ばかりで高いし本気で丁寧に最後まで面倒見るわけでもない。期間過ぎればそれまでよ。プレイはできない、レッスンもいい加減人気が出る訳がない。そもそもプレイヤーの少ないゴルフは衰退するしかない。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1937年兵庫県西宮市生まれ
    1995年 関西学院大学商学部に入学。大学時代ゴルフ部キャプテンとして関西リーグ戦に優勝。
    1959年 関西学院大学を卒業し㈱日本ダンロップ(現:住友ゴム工業㈱)に入社。
    ゴルフボールの販売推進を第一歩に、ゴルフ用品の商品開発に従事するなど、ゴルフビジネス一途に専従する。
    1973年 ㈱ダンロップスポーツエンタープライズの創設と同時にゼネラルマネージャーとして出向。
    1975年 同社取締役就任、1982年 同社常務取締役就任。
    1986年 住友ゴム工業㈱及び㈱日本ダンロップに帰属し、スポーツ用品副事業部長。1988年 取締役
    スポーツ事業部長。1991年住友ゴム工業㈱常務取締役に就任。
    1994年 ㈱ダンロップ スポーツ エンタープライズ代表取締役副社長。
    1998年 同社代表取締役社長に就任。
    住友ゴム工業およびダンロップスポーツエンタープライズ在籍中、トーナメントディレクターとして約300のプロゴルフトーナメント、テレビマッチやゴルフレッスン番組など約600本を企画運営する。1973年よりテレビ解説を始め、約350本のTVマッチ及びダンロップ
    フェニックストーナメントなど約150本以上のトーナメント解説を行う。
    ゴルフトーナメント、ゴルフイベントのプロデュースを行う事で、ゴルフコース設計の重要性を認識し、ゴルフ場設計にも関わる。
    1999年 住友ゴム工業㈱および㈱ダンロップスポーツエンタープライズを退職退任
    ㈱ターゲットパートナーを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
    現在の主な役職
    公益社団法人 ゴルフ緑化促進会 理事長(2007年 就任)
    日本ゴルフ関連団体協議会 常任理事(2007年 就任)
    NPO法人 日本芝草研究開発機構 副理事長(2008年 就任)
    ㈱サイプレスクラブ 代表取締役社長(2003年 就任)
    南部富士㈱ 取締役(2002年 就任)
    ゴールドウイン開発㈱ 顧問(2006年 就任)
    ゴールデンバレーゴルフ倶楽部 評議員、理事、キャプテン(2008年 就任)
    千刈カンツリー倶楽部 アドバイザー(2014年 就任)
    サンコー72カントリークラブ 顧問 (2014年 就任)
    魚津国際カントリークラブ 顧問 (2015年 就任)
    メモリアルトーナメント・キャプテンズクラブ(USA) メンバー(1985年 就任)
    主な著書
    Golf World & Nippon(2009年5月)
    温故知新(2006年6月)
    ゴルフ雑記帖(2000年10月)
    青木功の諦めないで自分を変えろ(1998年3月)
    ゴルフボール-その飛びの秘密(1986年12月)