ここ数年、プライベートなラウンドやコンペで初めてプレーをご一緒する方にはご年配の方が多くなった。
ゴルフ経験豊かな皆さんに共通して感じるのは、依然たくましい向上心を秘めていることだ。
スコア向上に向けての努力について伺うと例外なく、一時期たくさんのゴルフ雑誌を購入し、自分の悩みを解消する答えやヒントが見つかることを渇望したことあるとの答えが戻ってくる。
しかし、ゴルフ雑誌の記事を読んでいても一向に上達は覚束ず、いつしか雑誌から遠ざかるアベレージゴルファーが少なくない。いうまでもないが、各雑誌のレッスン記事にはアマチュアへの有効なアドバイスが含まれている。記事は一家言を持つプレーヤーの技術や心理を伝えようとしている。
かつての熱心な読者は、貴重なアドバイスを発見できないままに通り過ぎてしまったのだろうか。
「やはり雑誌の記事を読んでいても埒があきません。プロから直接指導を受けないと上手くなれませんね」 経験が言わせる意見だろう。
『 雑誌の記事から真理を突いた言葉を発見しても、やり過ごしてしまう』
雑誌で展開されるレッスン記事は、なぜ彼らに届かなかったのだろうか。
私も40年以上に渡りゴルフ専門誌を読み漁ってきたゴルファーのひとりだ。いまも毎号必ず記事中から「これは‼」と思える金言、真理を突いた言葉を発見できる。
誰でも(ゴルフに限らず)専門誌の類を読んでいるとき、どこかで「ふむふむ」と何かを気付かせる言葉に出会っているはずだ。しかし「ふむふむ、なるほど…」と心に引っかかって来るものがあっても、拘りを持ってそこに立ち止まることなく、すぐに次のページをめくっては他の話題を読み始めてしまう?
人間の脳というのは、どうもいい加減なところがあるようで「これは!」と思える言葉に出会ってもすぐ忘れてしまう。または気付いた事柄も見る間に薄れていく。気になる表現に出会ったら意識してそれを塗り固めるくらいしておかないと、記憶は別の情報へと瞬く間に流されてしまう。
大事なポイントを発見したらページを繰る手を止めてメモを取り出し書き留める必要がある。
書き留めるだけでなく、心に引っかかってきた言葉の周辺にあるものを手繰り寄せる。その言葉について深く考える時間をもつ。読んだ記憶が新鮮な、今のうちにすぐ。
「ふむふむ、なるほど」は「そうか!」に変わっているはずだ。浮ついて彷徨っていた言葉は心の奥底まで染み込んでいく(もうこうなったら深夜であろうが、クラブを手に取りたくてベッドから起き上がっている)。
私はゴルフ雑誌を読む時間は街を漫ろ歩くウインドショッピングのようなものと思っている。レッスン記事も、各プロが培った技術を簡潔にみせる煌びやかなショーウインドだ。そこに飾られているのは有名プロの技術のエッセンスだ。しかしその一部にすぎない。
「これは」と思うウインドの展示を発見したら、お店に本物の商品を確かめに行く…。飾られたショーウインドの商品はどれも素敵にみえるが、あなたに似合うかは、別問題だ。漠然とそのことを知っていながら、並べられたウインド商品すべて、アレコレ全部真剣に見たり実際に試す内、アベレージゴルファーは迷路を彷徨い始める。
『スイングのニュアンスを言葉に置き換えて伝える難しさ』
「子供にはゴルフ雑誌は見せないようにしている」と言う父兄がいた。
子供がプロコーチのレッスン記事を読んで自分のスイングとは違う『気になる部分』を見つけた。また他のレッスン記事を読み、これもと思って試す内に、そもそもどうやって振ればいいのか迷い始め、おかしくなってしまったというのがその理由だ。
ジュニアゴルファーは常に学ぼうという姿勢を持っている。彼らは疑うことなく新しい技術を吸収しようとする、真っさらな心の持ち主だ。
一方で、ゴルフスイングの習得は正しい動作を時間をかけ繰り返し身に着けていく地道な作業でもある。無意識に(潜在意識レベルで)自然に行われるようになった動作を改めて解き明かそうとするほどに動きがギクシャクするのはよくある事だ。ましてジュニアゴルファーは自分に適した情報を取捨選択する能力を未だ持ちあわせていない。
ゴルフのレッスン記事が誤解を生んだり、必ずしも真理を伝えきれず読者に無用な混乱を生むのは、プロが本来伝えたい内容を『言葉』に置き換える作業が易しくないからだ。
言葉は受け取る側で自在に解釈がなされる。
あるラジオ番組で、「ほぼほぼ出来た」という時の「ほぼほぼ」とは、目標のどれくらいまで出来た事を示すのか、というアンケート調査を実施していた。ある人は90%できたという意味だと答えた。ある人は70%強出来た事だと返事した。また別の人は「まあ半分ちょっと出来たという事かな」と話した。
言葉に置き換えるという作業は、受け取る側でこれほど大きな相違が出るという事実だ。
ゴルフスイングに関わるニュアンスを他人に伝える手段としての言葉への置き換え。
それははとても微妙な作業だ。
最近の雑誌は文章よりも写真を重視する。読者にスイングをわかりすく解説するためには眼で確かめさせる方が的確との判断だと思う。
しかし、眼で見える(確認できる)範囲も限られている。間違った動作はよほどオーバーに表現しないと(動作してみせないと)読者には読み取れない(見取れない)。それが繊細なゴルフスイングというものだと思う。
結果、読者は「まさか自分は、これほど酷い振り方はしていないぞ」とその記事を自分とは無関係なものと判断している。
絵で確認しきれない微妙なニュアンス(中身)を説明するのが可能な手段。それが言葉…。そのために執筆者は表現力をさらに磨かなければならない。
加えてこの堂々巡りを断ち切るために、雑誌は話題先行のレッスン法を興味本位に紹介するばかりでなく、意義深いレッスンにこそ注力すること。一回掲載で終わらせず回を追って丁寧に解説する連載記事とすることだ。その連載をまとめたムック本・書籍を再び手に取って理解を深める意欲は読み手に求められる。
学習意欲が旺盛なジュニアたちを正しく導くために。彼らが学び急いで迷うことのないように。
上記父兄の話も頷けるところがあるのだ。