1950年代、関西の古いゴルフ場からプロゴルファーたちが次々と誕生していった。広野GCの橘田規や茨木CCの杉原輝雄らとともに活躍したのが宝塚GCからプロになった島田幸作だった。
地元の高校を卒業した島田は宝塚GCに就職。その後、プロゴルファーに転向した。私の家は宝塚GCと近かったので、よくゴルフを楽しみに訪れた。すると、島田は事務所の裏のプロ室から出てきて歓待してくれた。1番のティーグラウンドまでついてきて、ティーショットを見てくれるのである。うまく飛べば「ナイスショット!」と褒めてくれた。史上7人目のグランドスラマー、すまり公式4大競技を制している大物プロ。こちらは恐縮しきりだった。帰りには近くの店で焼肉とビール。楽しかった。
人格的にも慕われていた島田は、99年に日本ゴルフツアー機構(JGTO)が発足した際に周囲から請われて初代会長に就任した。この時、島田は好敵手として戦った杉原に相談したといわれている。杉原は「思いきってやってみろ」と激励したそうだ。
島田はとうきょうの事務所に詰めた。スポンサーやゴルフ関係の各方面と折衝に当たり、まじめすぎるほど仕事に明け暮れた。
だが、悲劇が起こった。がんの発症である。会長としての激務が体をむしばんでいったのだろうか。島田は職を離れて静養に努めたが、64歳という若さでこの世を去った。
プログルファーに「島田会」という会がある。島田を慕う弟子たちの集まりで、女子プロも多い。亡き師匠を慕う弟子の会というのは珍しい。それだけ遺徳をしのぶ人が多いということだ。
プロゴルファーとして精一杯生きて、なお、ゴルフツアーという組織を生んだ男として後世まで功績は称えられるべきだろう。
WHO‘S WHO
島田幸作(しまだ・こうさく)1944年5月7日、兵庫県宝塚市出身。尼崎高を経て1964年にプロ入り。通算15勝。68年に日本プロ。76年は日本オープンを制してメジャー2勝。99年に日本ゴルフツアー機構の初代会長に就任。08年11月に膵臓がんのため死去。享年64。
【2015年8月19日にデイリースポーツに掲載された記事を引用】