【この記事は2020-8-21に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】
ほんとに暑い夏だった。
来る日も来る日も寅さんのもとに通った。
1カ月がとうに過ぎた頃、私は暇つぶしに練習場でボールを打っていると
「よォ、ダンロップ、いいタマ打つじゃないか」という声が聞かれた。
寅さんが立っていた。
「どこで習った」
「大学でゴルフ部でした」
「もっと打てよ」
「いいえ、神様に見られてたら打てません」
と、そんなきっかけから、寅さんと話し合える雰囲気が生まれてきた。
寅さんが「ダンロップ65」を初めて打ってくれた日は、祈りながら見たものだ。十球ほど打ったころ寅さんは、小さな声で「へーぇ…….」と呟いた。
私にはその一言で充分だった。
後日、なにげなく寅さんのバッグをのぞいたら、輸入ボールの中に我が「ダンロップ65」が2,3個入っていた。
その1ヶ月後になる同年秋、オーストラリアで「カナダ・カップ」が開催され、寅さんは日本代表に選ばれた。その遠征直前に「今度のカナダ・カップで使うからな」と言ってくれた。
私は活躍を祈りながら寅さんの帰国を待った。滅多なことでは褒めない人だけに不安が消えない。だが、帰国した寅さんから「大西、なかなかいいボールだ、これならみんなに薦められるよ」と言われたときの記憶は今も鮮明である。
【写真説明】
前列左手が中村寅吉氏
右手が小針春芳氏
後列左が私をダンロップへスカウトしてくれた恩人の大橋貞吉氏。
右手は塩谷先輩、
真ん中が23歳の私、
小針氏は1957年.1960年日本オープン優勝者でロングアイアンの代わりに5番ウッドを使ったプロですが、97才で天国へ行かれました…。
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