『第3回JGJA大賞 青山加織プロトークイベント 開催報告』
日本ゴルフジャーナリスト協会は、1月26日、都内でゴルフを通じて社会貢献をした人を表彰するJGJA大賞の発表を行った。
3回目となる今年は、昨年4月に発生した熊本地震の際、自身も被災しながらボランティア活動に尽力した青山加織プロが受賞した。
当日は、「熊本地震、その時わたしは」 ―青山加織奮戦記― と題し行ったトークショーを開催。
100名を超える聴衆が集まった。
青山プロが、ファンや関係者など多くの人から集まった支援物資を避難所に届けるボランティア活動を行っていたことは周知の事実。だが、本人の口から語られるその詳細は、自然災害の恐ろしさと被災者の現実を生々しく伝えるものだった。
「もう1度やれ。と言われてもできない」という活動は、何から何まで自分で動くものだった。
震災直後は、支援物資をもらう列に並ぶ被災者の一人にすぎなかった。少し経つと、それが変わり始める。自分の元に直接、送られてきた物資を最初は家族や周りの人と分けているうちに、まったく救いの手が差し伸べられていない地域があることに気付く。それからの行動は早かった。すでにSNSなどを通じて知人だけでなく多くの人から申し出があった支援物資を、すべて受け取り、配布し始める。軽トラックを自ら運転し、避難所を回るのだ。
一緒に動いたのは、同じ年の多くの仲間たちだった。ちょうど30歳になったばかり。三益式という名の”30歳の成人式“を終え、社会貢献を誓い合った仲間たちとのLINEグループが出来ていた。これがフル回転した。まず気づいたのは、指定避難所以外には物資が届いていないことだった。どこに何が足りないか。どこに何が余っているか。行政の手が行き届かないその情報を”三益式LINEグループ“や携帯電話を通じて瞬時に連絡。無駄のないように物資を配布した。
朝、目が覚めると届けられた物資を荷解きして仕分けする。最初は箱ごと配布していたが、子供やお年寄りなど、届ける相手を把握して、ニーズに合わせて配れるまでになるのに時間はかからなかった。
活動当初はプロゴルファーである事を特に公言していなかった。だが、誰だかわからない若者が運んできた物資に首を傾げられ、受け取ってもらえなかったこともあったことも明かした。それ以降は名刺を持って動くようになる。自らの社会的信用が、被災者を助けることがわかったからだ。
毎日のように、自分たちの活動をSNSでアップデートしたため、青山プロのところに支援物資を送れば、必ず被災者に届くことがわかった人々からさらに様々な物が届くようになった。
最初の地震は地元、熊本での試合前日で、この大会は中止になった。その後も出場予定だった2試合を欠場した。
QT20位で得た出場権でシード復活を誓い、1試合1試合が大きな意味を持つシーズンだったが、
この時はゴルフの事は考えられなかった。ひたすら作業に明け暮れていた。
「ツアーへの復帰を考える暇が無かった。」と、本人は淡々と振り返ったが、なかなかできることではない。聴衆の中には涙を流す者もいた。
そんな青山プロの背中を押し、ツアー復帰への決意させたのは被災者からの声援だった。
多くの人と接する機会が持てた事で改めて「人と人とのつながりの大事さ」を感じられたという。
東日本大震災の際には義援金活動を行っていた青山プロだが、今回は自身が被災者となったことにより、現場で求められている物があることを実感。
「この経験を伝えて行きたい。」と今後も体験談を多くの人に伝えて行くことを考えられている。
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