過剰な規制強化は「不誠実者」の乱造を招く   片山 哲郎

SLEルール」は本当にゴルファーのためになるのか!
高反発フェースのドライバーはクラブとして認められないというけれど・・・

クラブフェースの反発係数を0・830以内に抑えるSLEルール(スプリング効果規制)が2008年1月1日から施行される。高反発クラブはゴルフ規則によって正式なゴルフ用具として認められないというもの。しかし、現状では「ルールだからといって素直に受け入れられない」などの意見も多く、一般ゴルファーやゴルフ場も含めて賛否両論が渦巻いている。SLEルールの今後の問題点、一般のアマチュアゴルファーに与える影響などについて識者の意見を集めてみた。


 

過剰な規制強化は「不誠実者」の乱造を招く  片山 哲郎

「ゴルフ」というモノの在り方を、これほど真剣に考えたことはない。あるいは、そのような試みが果たして必要だったのかと思えるほど、釈然としない気分だけが残っている。一言でいえば、自らの考察力の限界を、この問題は教えてくれたのである。

いわゆる「高反発規制」を巡る問題で、多くの取材を行ってきた。インタビューの主題は当初、ゴルファーが愛用する「機能」を取り上げることの是非論に終止していたが、そのうち「ゴルフ」と「ゴルフ規則」、さらには「ゴルファー」との関係について、思考するハメに陥ってしまう。そして本来は、三位一体であるはずの各主体が、実は個別に存在する事実を確認した。当方にとっての高反発問題は、魑魅魍魎にほかならない。

どういったことか?

多くの関係者は、今回の問題を単に「飛ぶドライバー」の賛否論で片付ける傾向にある。規則を設けるR&AやUSGAは、「ゴルフの上達には自己研鑽が必要で、用具の進歩がその努力を軽減させるなら、これを看過できない」と主張。一方のメーカーは「消費者の需要」を全面に掲げて、技術進歩を正当化した。ゴルフ文化とゴルフ産業が、激しく対峙した構図である。

しかし今、これらの議論が一段落して感じるのは、ある種の虚無感にすぎない。議論の前提には「規則」の権威が不可欠で、その重石がきいていればこそ、対峙する両者は原則論において論陣を張れる。ところが、日本の「ゴルフ産業」はそもそも規則を守っておらず、厳密に守れば産業そのものが成立しない。つまり重石は、「軽石」ほどの重さしか持たないのだ。

たとえば、山岳コースに多く見られる「前進4打」は規則上、違反となる。ハーフ終了時点での昼食も「不当の遅延」に相当し、競技ルールでは失格だ。しかし、規則順守で本当に困るのはチョロを繰り返すゴルファーでも、空腹に喘ぐゴルファーでもなく、ゴルフ産業そのものになる。ゴルフ規則とゴルフ産業はこの点において、二律背反なのである。その一連に「高反発」を位置づけて「守れ!」と主張することに、どのような整合性があるのだろう。

英国で発祥したゴルフ規則は、日本の土地事情を忖度しない。無論、レストランの売り上げに興味を示すこともないだろう。ゴルフに生き甲斐を求める障害者や高齢者が愛用する「高反発」も、同じ文脈でとらえられる。

用具規則は今後も強化される傾向だ。傍目には「過剰なゴルフ愛」と映る規則統治者の熱意によって、極東の島国は翻弄される。世界第2位のゴルフ大国は、そのような立場に置かれている。

この稿は、ゴルフ規則を非難することが本意ではない。どのような競技であれ、規則のないゲームは成立せず、また、掟破りが横行すれば衰退の憂き目に遭ってしまう。だから、規則は大切である。しかし、規則統治者が配慮しなければならないのは、その権利を使うことで被害者が生まれる事実である。過去、規則違反の烙印を押されたメーカーが、業界から退場した悲話を知っている。そのような立場があることを、「ゴルフ規則」は思わねばならない。

結局、「高反発問題」とは何だったのか? 議論の過程で大衆ゴルファーは埒外に置かれ、コップの中の嵐にとどまった印象が残る。

ルールブックは冒頭で「ゴルファーはみな誠実で、故意に不正をおかさない」と定義している。仮に今後も用具規制が強まれば、ゴルフ規則は違反クラブを使う「不誠実者」を乱造するという皮肉な想定もある。不誠実とされた者はコースから遠ざかり、規則に忠実な競技者だけが闊歩する。

大衆ゴルファーがいなくなったゴルフ場は、いずれ原野に帰るだろう。そのとき規則団体は、過剰な「ゴルフ道」の追及を悔いるだろうか。それとも、スコットランドの風景に戻ったと喜ぶのか?