マスターズの歴史から消えないものは

毎年マスターズをテレビで見ているので、十分知っているように勘違いしてしまいそうだが、筆者が取材したのは日刊スポーツ新聞社にいたころの1986年、1回だけしかない。何度も取材に行っている記者、ジャーナリストは多いのだろう。

当時と比べて、コースは大改造されているし、プレスセンターも大改造されているし、マグノリアレーンは選手しか通れないらしい。今、オーガスタ・ナショナルGCに行っても、どこがどうなっているのか、分からないかもしれない。

ただ、マスターズが回を重ねるごとに、1986年大会を取材できたのが、どんなに得難い経験だったかをあらためて感じる。

たかが1回、されど1回である。

パトロンが理性を失った

「地鳴り」のような拍手と歓声をきいたのは、ゴルフ担当記者5年目で初めてだった。

中嶋常幸が初日から優勝圏内につけていた。最終日、中嶋は首位のノーマンに4打差の6位でスタートした。一緒に回るのはトム・ワトソン。これもしびれる組み合わせだ。中嶋、ワトソン組について1番からコースを回り、アーメンコーナーに入った。13番の第1打を打って歩いているときだったように記憶する。

前の組が騒々しい。13番でバーディーを取ったニクラウスが、そこから怒涛の追い上げを見せ、途中からは中嶋を見ながらも、前の組を目で追っていた。15番イーグル、16番バーディーで首位のセベ・バレステロス(スペイン)に迫る。17番のバーディーで最高潮に達した。

マスターズのパトロンは、厳しい目も持っているが、どんな選手も公平に見て拍手を送るといわれていた。だが、この時ばかりは「そんなことはない」と思った。

後ろを行くバレステロスが15番で池に入れて大歓声が上がった。代わって14番からの4連続バーディーで、ホールアウトしたニクラウスと共に通算9アンダーで首位タイに浮上してきたグレッグ・ノーマン(オーストラリア)に対して、18番ティーグラウンドでギャラリーが何か言ったのだろう、言い合いになった。このホール、ノーマンはボギーにしてニクラウスの優勝が決まっている。パトロンから礼儀、理性を奪ったのが、ニクラウスの快進撃だった。

1986年4月15日付日刊スポーツ

スポーツの力を信じたい

1980、83年に優勝したバレステロスはじめ、欧州、オーストラリア、アフリカなど米国にとっては「外国勢」が米ツアーを席巻し始めていた。

メジャー、中でも「球聖」が始め、「球聖」が造ったコースでのマスターズを「外国勢」に取られるのは、パトロンにとって本音では面白くはない。

オーガスタのある南部ジョージア州はかつて奴隷制度で発展しており、まだ差別や偏見は残っていた。オーガスタのハウスキャディーは黒人だった。

86年大会もバレステロス、ノーマン、ニック・プライス(ジンバブエ)、ベルンハルト・ランガー(当時西ドイツ)、サンディ・ライル(スコットランド)、そして中嶋が優勝争い。それを打ち破るニクラウス。どうみても「外国勢」がヒール役になる。

パトロンの、米国のゴルフファンの期待通り、ニクラウスが優勝した。最多6度目、46歳2カ月23日の最年長記録は、今後破られないかもしれない。スポーツの現場を取材していると「歴史に残る」シーンに遭遇することが、なによりのだいご味。マスターズの歴史を100年後の人たちがどんなに短く削っても、1986年は残してくれるだろう。

80年代後半から90年代、そうした「外国勢」がグリーンジャケットを次々に着ていった。パトロンも世代交代していき、慣れもでてくると、差別、偏見は薄れていくのだろうか。そして2000年代からは、タイガー・ウッズやフィル・ミケルソンが、「外国勢」を打ち破っていくことに「快感」も生まれているはずだ。

松山はマスターズでは11カ国目(スコットランド、イングランド、ウエールズを含む)、アジアからは初めての「外国勢」の優勝となった。100年後にも残る快挙と言えるだろう。

テレビ画面を通しても、パトロンからの温かい応援をもらっていたのが分かる。コロナ禍もあって、特に米国では差別問題、黒人差別に続いてアジア人差別も表面化している。その中で、松山の優勝は好意的に受け取られているようだ。こうした「実績」で差別や偏見をなくしていくのも、スポーツのチカラだ。

松山にグリーンジャケット、筆者にはグリーンペイント

さて、1986年の思い出に戻る。この話を知る人が「絶対に書け」とうるさい。

当時、メディアはマスターズの翌日、最終日のピン位置でオーガスタをプレーさせてくれた。第3ラウンドの早朝、確か7時にプレスセンターのドアに「国内メディア」と「海外メディア」の各20人(だったと思う)の予約受付票が張られ、先着順で上から名前を書いていく。6時にコースに行ったが、既に20人近く並んでいた。何とか「海外メディア」の真ん中あたりに書き込めた。ちなみにメディアは生涯1回しか権利がないと言われた。今は抽選らしい。

月曜日、徹夜でニクラウスの優勝、中嶋の日本選手初の通算アンダーパーで8位などの記事を送り、早朝にコースに行った。日本の新聞社は動いていない時間帯に入っているのを幸いに。

クラブハウスに行くと、黒人のキャディーが自分の持っているクラブセットをレンタルしてもらうために売り込みに来る。もちろん、ウッドはパーシモン。しかも相当古そうなクラブばかりだったが、目が合った人から借りた。金額はよく覚えていないが、20ドルぐらいをチップとして渡した。

ドライバーかと思ったら、初めて見た2番ウッド、ブラッシーだった。そのブラッシーで1番のティーショット。当時ゴルフ歴2年弱。「それでオーガスタを回ったのか。失礼だろ」と、還暦を過ぎた今でも怒られる。でも、チャンスが1回だけだ。

右にすっ飛んでいった。「フォアー」。バンという大きな音。当時、1番の右側にティーグラウンドから見えるように大きなリーディングボードがあった。今はあるかはわからない。そこに当たった。撤収作業をしていた人が脚立の上でびっくりして振り返った。ボールは跳ね返って、プレスセンターのドアの前まで転がっていた。打球事故にならずホッとして、平謝りした。

たぶん、マスターズのリーディングボードに当てた人は、選手も含めて世界中で筆者だけだろう。マスターズ色のグリーンのペイントがこびりついたボールが、実は宝物だ。

たかが1回、されど1回である。

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赤坂厚

1959年北海道札幌市生まれ。札幌南高―北海道大学工学部卒。82年日刊スポーツ新聞社入社。同年から計7シーズン、ゴルフを取材した。プロ野球巨人、冬季・夏季五輪、大相撲なども担当。2012年、日刊スポーツ新聞社を退職、フリーに。
著書に「ゴルフが消える日」(中公新書ラクレ)、「ビジネス教養としてのゴルフ」(共同執筆、KADOKAWA)
日本プロゴルフ協会、日本プロゴルフ殿堂、国際ジュニアゴルフ育成協会のオフィシャルライターでHPなどに執筆。「行ってみました世界遺産」(https://世界遺産行こう.com/ )「ゴルフ上達への18ホール」( https://www.golflesson90.com/)を公開中。
【東洋経済ONLINEより】
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