【この記事は2020-8-19に大西久光ブログに掲載したものを転載しております】
当時、プロゴルファーたちはこぞって輸入ボールに頼っていた。従って一般ゴルファーも輸入ボールを宝のようにして使い、容易に国産品には目も向けてくれなかった。何といってもゴルフ界は、プロの動向が大きく作用する。だからその頂点から次第に一般ゴルファーへの普及を図り、順次そのシェアを拡張していくという意図を持ったのも自然の成り行きからである。
私の頭の中には、最初の標的は中村寅吉しかなかった。
そのころ寅さんは、砧のゴルフ場に所属していた。ボールをかかえて、その砧通いを始める。若い私にとって寅さんといえば近寄り難い存在だった。始めて用件を伝えると、即座に「ボールは要らん」と言っただけで、全く話に乗ってくれない。それどころか翌日からは門前払いである。
こんちきしょう!食わず嫌いするな!!
と、腹の中は燃えたぎる思いだったが、生来の短気を押し沈めながら毎日砧に通いつめた。
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