【 GOLF・スケッチブック 】
記事はゴルフの諸事雑事を書いています
長年ゴルフに親しんでくるとある生活のパターンができあがる。プレーできない日にはゴルフの本を読むという習慣だ。読んだ数も結構溜まってくると、技術書ばかりではなく、歴史やコースあるいは古書を読む機会が増えてくる。そんな読書との付き合い方をしていると、ある感慨が沸いてくることがある。
100年前あるいはそれ以上の年代のプレーヤーが書いたり話したりしている言葉に、現代の技術やゴルフのもつ奥深さに共通していることが何と多いことか、と。言い換えると100年以上前のゴルフが現代のゴルフにそのまま通用することが山ほどあって、ゴルフというスポーツの技術と精神はすでにこの頃出来上がっていたのかと実感することが多い。
トム・モリスといえば、セントアンドリュースをこよなく愛し、オールドコースに人生を捧げたゴルフ界の神様的存在、彼は全英オープン(1860年)の開祖といわれる伝説的人物で、全英オープン優勝の最年長記録(46歳)を今でも保持している。そればかりではなくクラブ製作者、グリーンキーパー、ボール製作者、コースデザイナーでもあったという。
彼はよいクラブの条件として「信頼できる職人の手によるもの(今でいえばメーカーだ)」「クラブを握って構えた時フィーリングがぴったり合うこと、クラブ全体、特に顔が気に入ること」「クラブが重すぎず軽すぎず」といっている。彼自身が注文を受けた時は、「クラブを使う人の年齢、その人のレベル、身長、体重、両手の握力、運動歴、ヒッターかスインガーか、クラブを握ってもらう、主にプレーするコースの性格、起伏、気象条件、といったことを訪ねなければ、大事なクラブは造れない」といっていたという(夏坂健著「王者のゴルフ」より)。
当時のクラブはすべて職人の手づくりによるものだった。はウッドもアイアンもヒッコリーシャフト、アイアンのヘッドは鍛鋼製のもの。ボールは鳥の羽を詰めた革張りボール=フェザーボール。トム・モリスも専門職人の一人でクラブを造っていた。上述のよいクラブの条件として挙げたそれぞれの項目は、何と現代にそっくりそのまま通用するではないか。
ことほど左様に、スイング技術にしても基本なるものがゴルフに関わるさまざまなことが出来上がっていたと思える。150年も前のことであるから驚く。またゴルフの奥深さについては、スコットランドの古い諺に「ゴルフは行儀が第一である」というのがある。ゴルフにはエチケットとマナーがルールと同じぐらい大切なことで、その後生まれたルールブックには、ルールに優先して第1章にエチケットが書かれていることはご存知の通りである。かつて活躍したさまざまなプレーヤー、コース設計家、評論家が貴重な文言を残している。
ヘンリー・ロングハースト(1909年生まれ)という英国のゴルフ評論家がいた。ケンブリッジ大学ゴルフ主将を務めた経験もある人だが、彼はこんな言葉を残している「ゴルフをみればみるほど、私は人生を思う。いや人生を見れば見る程、私はゴルフを思う」と。ジョン・H・テーラー(1871年生まれ)は「ゴルフを単なる娯楽と見なすものには、ゴルフはいつまでも解き難い謎となるだろう」とも言っている(摂津茂和著「不滅の名言集➂より」)。
「ゴルフは人生行路の縮図のごとし」と捉えたゴルフ研究家摂津茂和(1899年生まれ)はこう言っている。「ゴルフは山あり、谷あり、水あり、これに幾多の障害物を配置した波乱に富むゴルフ・コースも人生行路に似ていれば、また一個の小球に自分の運命を託して困難と戦い、悪運を耐え忍び、一喜一憂を重ねながら最後のホールに辿り着くプレー自体も、まさに七転八倒の人生さながらである」と。ゴルフを長年やっている読者には同じ感慨を覚える人も多いに違いない。ゴルフの奥行きが生まれてくる所以である。
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