魅せたジョン・デーリー(米)と婚約者のド派手ファッション! 日本で初開催の米シニアツアーの″日米格差”

米シニアゴルフのチャンピオンズツアーが日本で初開催したJAL選手権が、8日から3日間、千葉・成田GCで行われました。トム・ワトソン(68、米)はじめ、コリン・モンゴメリー(54、英)ジョン・デーリー(51、米)、ラリー・ネルソン(70、米)リー・ジャンセン(53、米)、トム・リーマン(58、米)、コリー・ペイピン(57、米)、スコット・マキャロン(52、米)らそうそうたるメンバー56人に、日本ツアーから倉本昌弘、中嶋常幸、室田淳、尾崎直道ら7人の推薦選手を加えた63人のレジェンドプレーヤーが華やかな競演をみせてくれました。

大会を制したのは、3打差3位から出たコリン・モンゴメリーが通算14アンダーで逆転優勝。優勝賞金40万ドル(約4400万円)を得ました。日本勢は振るわず倉本昌弘の7位が最高。日米の実力差をシニアでも見せつけました。

メインスポンサーの日本航空の肝いりで選手たちは前週の試合地、カナダ・カルガリーからチャーター機で来日。宿泊は東京・帝国ホテルという最高のおもてなし。火曜日には選手代表団が首相官邸に安倍晋三首相を表敬訪問したと思うと、銀座の一流寿司店で日本の味に舌づつみ。

成田山新勝寺にお参りするなど、秋の日本を満喫したあと2日間にわたるプロアマ、3日間大会と多忙な1週間を過ごしました。選手の家族やキャディー、さらには競技委員やボランティアまで帯同する大所帯での日本遠征でした。

存在感を漂わせたジョン・デーリーは中でも一番人気。自らが携わっている衣裳会社提供のド派手なスラックスを毎日取り換え、さらに4度の離婚を経験しているデーリーの″5人目のフィアンセ〝アナ・クラダキスさん(40代)をキャディーにし、連日自らと同柄のショートパンツをはかせる個性的なファッションで見事な″二人三脚演出”。

5人目のフィアンセをキャディーに、同じ柄のパンツで目を引いたジョン・デーリー(千葉・成田GC)

かつてはアルコール依存症などもあり、何かと″問題児”を演じてきたデーリーももう51歳のシニア世代。全体的には穏やかな雰囲気をかもし出していましたが、売り物の大きなバクスイングからの豪打は衰えていません。

米シニアツアーで今季も目下ドライビングディスタンス1位(299.4ヤード)に君臨しており、今年5月には米チャンピオンズツアー(シニアツアー)初優勝を遂げています。

「いまでもレギュラーツアーで戦うにも十分な飛距離を持っています。でもPGAチャンピオンズツアーで戦うのは、私にとって新しい仕事、人生のようなものです」とデーリーは話しています。成田でも連日大勢のギャラリーに囲まれながら楽しそうにプレーしていました。時には短いパーパットを片手でヒョイと打って外し、ボギーにするなど、デーリーらしいポカもありましたが・・。

初日の69のあとはスコアが伸びず、通算2アンダーの39位タイに終わりました。今年中には今の婚約者と5度目の結婚を予定しているそうですが、ルンルンの″日本婚前旅行〝のようでした。最後にプレーした日本ツアーは、96年の全日空オープンと中日クラウンズ。久々の日本お目見えでしたが、人気男・デーリーのオーラは、衰えていませんでした。

大会で優勝したのはドライバーを曲げないことで有名なスコットランドの巨漢、モンゴメリー。連日60台をマークしていましたが、最終日は首位に3打差の3位。前半はイーブンでしたが、後半に入っての猛チャージは驚かせました。10番で7メートルを入れると長いパットがポンポン入りました。

12番は6メートル、13番は18メートルもの超ロングパットが決まりました。14番は3メートルを入れ、17番のパー5では2オンしてイージーバーディー。インはなんと31で回って通算14アンダー。連日の66をマークしてトップにいたスコット・マキャロンやメイフェアの追撃を1打差に抑えての逆転劇でした。

初めての日本でのチャンピオンズツアーに優勝したモンゴメリーのコメント

「フェアウェイが結構狭いホールがあるので、チャンスはフェアウェイキープするこだと思っていました。コースコンデイションは最高で私のプロ生活の中でも最高のグリーンコンディションでした。首位にいたマキャロンが1番でダブルボギーをたたいたのでチャンスがきましたね。

日本初開催の米チャンピオンズツアーを制してカップを掲げるC・モンゴメリー。(千葉・成田GC)

8番で最初のバーディーがとれたのがきっかけになりました。風が回っていたり、ピンポジションが傾斜にあったりと難しかったのに67のスコアは誇りに思います。初めての日本でのチャンピオンズツアーに勝てて光栄です。この大会が成功で、来年からも続けばいいと思っています。そして自分も連覇したい」

今年2月に左足のじん帯を2か所断裂し、約3ヵ月戦列を離脱(4試合)。その大きなケガを乗り越えての復活Vはお見事でした。欧州ツアーでは8度の賞金王など通算31勝。

しかしメジャーでは5度の2位を経験するなどビッグタイトルが遠かったのですが、13年にシニア入りすると、翌14年に全米プロシニア、続いて同年の全米シニアオープンも制するブレークをみせた男です。愛称は「モンティ」。歴史的日本初開催の米シニアツアーでの優勝劇でした。

日ごとに増えたギャラリー数は3日間で計5135人。まずまずの人気を集めたイベントでしたが、日本勢ではPGA会長の倉本昌弘がただ一人初日から健闘でした。最終日には17番(パー5)で2オンしてロングパットを沈めてイーグル、18番では3メートルのバーディーパットを決めるフィニッシュはカッコよかったですが、ただ一人のトップテン7位。あとは全員50位以下と振るわず全てに差をみつけられたシニアツアーでした。

日本勢でただ一人健闘。7位に入った倉本昌弘(千葉・成田GC)

試合の賞金は米国ではランキングに加算されますが、日本シニアでは加算されません。後援した日本PGAの倉本会長は「米シニアツアーを日本で開催できたことは画期的なこと。来年もこの週は空けて待っているので続けて開催してほしい。そして日本選手の推薦出場枠(今回は7人)を増やして欲しい」と語っていました。

【この記事は2017-9-11 ゴルフ会員権売買の老舗 (株)桜ゴルフ『児島宏のグリーン見聞記』に掲載したものを転載しております】

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