宮里藍に思う トッププロ引退の葛藤

宮里藍

日経電子版2017年6月14日配信

プロスポーツ選手が戦いの場から去る決断をするのは難しい。ましてや華やかな舞台で活躍し注目されてきたスタープレーヤーはなおさらだ。

女子プロゴルファーの宮里藍が5月26日、突然、今シーズン限りで現役を引退することを発表し、29日に記者会見を行った。

2003年9月、18歳のときにミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンにアマチュアで優勝。翌月、鳴り物入りでプロに転向した。

以来、国内ツアーで15勝、06年からは主戦場を米ツアーに移して9勝。10年には11週間にわたって世界ランキング1位の座に着くなど、世界のトップとして戦ってきた。

■強さに加え、仲間の信頼厚く

強さだけではない。絶やさぬ笑顔から、日本では「藍ちゃん」として親しまれ、米国では英語を必死に勉強してプロの中に入っていこうとする努力と人柄に、仲間たちは「アイの言うことなら何でも聴く」とまで信頼を寄せた。

そんな宮里の引退表明。「モチベーションを維持するのが難しくなった」のが最大の理由だった。12年を最後に優勝から遠ざかって約5年。昨年は米ツアー26試合に出場して賞金ランキング67位。全盛期に比べると寂しい成績だろうが、まだ31歳。もっと続けてほしいし、復活のチャンスはいくらでもあるように思う。

しかし、彼女は「引退」の道を選んだ。

スター選手の引退。日本でいまだに話題になるのが、野球の長嶋茂雄さんだ。1974年10月12日、シーズン残り2試合というところで引退を発表。2日後の最終戦後のセレモニーで「我が巨人軍は永久に不滅です」との名言を残してグラウンドを去った。

大相撲では「ウルフ」と呼ばれた千代の富士の引退が衝撃的だった。現役通算1000勝(最終的には1045勝)、幕内通算805勝と、ともに当時史上初の記録を達成した大横綱は、91年5月場所初日に17歳年下の新進・貴花田(のちに貴乃花)に敗れ、2日後に土俵に別れを告げた。

野球選手はシーズン終了まで待って進退を明らかにすることがほとんど。大相撲の、それも横綱の場合は本場所中に電撃発表するケースが多い。いずれにせよ、野球、相撲のどちらも、引退を口にしたときがやめるとき――である。

今回の宮里の場合は、発表はしたものの今シーズンは出場するという珍しいケースになった。すでに昨年の段階で家族や親しい間柄のプロには打ち明けていたようで、どこからか漏れるのは時間の問題だっただろう。気配りの宮里の心遣いが、結果として電撃発表につながったともいえる。

別の角度から見てみたい。昔から「プロゴルファーに引退はない」といわれてきた。

■野球や相撲との相違点は…

ゴルフは生涯スポーツとされ、現に日本のプロの世界でも男子は50歳以上、女子は45歳以上が出場資格のシニアツアーがあり、今年はグランドシニアを含めて、男子30試合、女子8試合が行われる。

さらに、たとえトーナメントの世界から退いても、ゴルフコースや練習場の所属プロ、契約プロとしてアマチュアにレッスンして生計を立てる道もある。このあたりが、野球や相撲などの他のプロの世界とはまったく違う。

とはいえ、だからこそ、プロゴルファーは生涯、トップの舞台でプレーして勝利を手にすることが最大の目標となる。老いや体力・気力の低下に必死にあらがい、ひとつでも上を目指す。

特に、一度トップの座に就いた選手のそれは、想像を絶する苦闘の世界だろう。

その中から下した宮里の決断。凡人願わくは、これで肩の荷が下りて再上昇のきっかけをつかみ、選んだ道に自らの手で大輪の花を添えるシーンを見てみたい。

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