「パーソナル・パー」を作って1番ホールに向かうプレーヤーはどのくらいいるだろうか。
「パーソナル・パー」とは、自分にとってパープレーとなる打数のことだ。その日の目標スコアといえばわかりやすいだろうか。
アベレージゴルファーは、「今日はなんとか100を切ってやる」とか「80台で回るぞ」とか、密かに決めてスタートする。
ただ意気込むばかりでは…。そもそもHC(ハンディキャップ)があると言われそうだ。
しかし、HCは例えプライベートなものであっても他プレーヤーの了承を得なければ決められないし、プレーヤー本人のその日その日の調子が反映されるものではない。
(不思議なことだが、自分のベストプレーに近いスコアを反映したものがHCと誤解しているプレーヤーが少なくない?)
「ゴルフが上手くなるということは、判断力がつくという事」
ジュニアゴルファーにライフスキルを教える『ザ・ファースト・ティ・ジャパン』http://www.thefirstteejapan.org/ では、子供達にバーソナル・パーを設定させてからティ・オフさせることがしばしばある。
漫然と目標トータルスコアを立てるのではない。各ホール毎に自分にとってのパープレーを設定させる。
パー4の1番ホールは、今日の自分にとって何打で上がればパーとするのが適当か?
ホールの難易度・距離、天候、風の強さ…いろいろな要素を考慮して、少なくともハーフラウンド9ホール分のパーソナル・パーを決める。
パーソナル・パーを立てる意味は主にふたつある。
現時点の自分の技術・能力を冷静に(率直に)評価する判断力を持つこと。結果がスコアカードに印刷されたパープレーに遠く及ばなくても、パーソナル・パーを達成あるいは下回ることができれば満足感が味わえることだ。
子供たちは段階を踏んで成長していく。過剰な目標値の設定を避け、楽しみを覚えながら一歩一歩前進するための配慮。これはゴルフに限らずスポーツ全般、子供達が学習する事すべてに通じる知恵かと思う。
たとえ上級者との組み合せとなっても、パーソナル・パーを目指してプレーしていれば、上級同伴者の様子に戸惑うことなくプレーすることが出来る。
各ホールの目標値がはっきりしているから1打の失敗で挫けず、次のリカバリーを考えていける。もしそのホールの結果が芳しくなくても、次のホールの自分のパーに改めて挑戦する意欲を持てる。
楽しさを覚えた子達はゴルフから離脱しない。ゴルフへの興味を深めていく。成功する歓びを知ったから。
これは若年層ゴルファー人口を増やすための大切なポイントでもある。
子供達が、ゴルフで上達するという事は何を示すのだろうか。それは「自分で判断が出来る人になる」という事だ。
「子供は、親に褒められるのが一番嬉しい」
『ザ・ファースト・ティ・ジャパン』のプログラムディレクターは、父兄にこんなアドバイスを贈っている。
「子供がミスをしたとき、親の顔を見たら要注意です。叱ってはいけません。何も言わず見なかったフリをしてください。逆に、上手に打って顔を見てきたら、笑顔で褒めてください。他でもない。子供は親に褒められるのが一番嬉しいんです」
ミスをすると叱られる。スコアが悪いとなじられる子は、自然に親の顔色を窺うプレーをするようになる…。
子供が正しい判断をするためには、1ショット1ショット、自分自身で状況を冷静に見つめる目を持つ必要がある。誰が指示を出せるものでもない。子供達は一人のプレーヤーとして判断力を養っている最中だ。
ゴルフは、ティグラウンド以外では同じ状況・条件でショットを放つことがない。
平らな場所でボールをティアップして打てるティグラウンドにおいてさえ、風等によりその時時でプレーの条件は異なってくる。いま正にどんなショットを打つか、攻めるか守るか、最善策はプレーヤー自身が決めることであり、結果の責任を自身が負う。
審判のいない特殊なスポーツのことだ。ルールの適用、対処法も基本はプレーヤー自身に託されている。同伴競技者への対応(心遣い)、マナーが問われる。
ここにゴルフの神髄がある。
上手くいったら褒めてやろう。失敗したら、何故失敗したか自分で考え、次回の成功を導く糧になるようにさせよう。
ゴルフは人を傲慢にさせたり、散々な目に遭い「残酷なスポーツだ」と失望を味わわせることがある。
それはゴルファーなら誰もが知っている。
相応の実力を身に着ける以前に、印刷されたパープレーを基本にしてばかりでは歓喜の日は訪れない。
「親だから、出来ることがある」
プレー後に子供達に感想を聞く。
プレーの技術内容ばかりでなく、今日プレーをしたコースの印象を親子で語り合う時間を持とう。上手く運んだプレーが話題に上れば共に喜び、失敗の悔しさを訊いたら静かに頷こう。
親がラウンド直後に子供のミスや結果をなじっていたら…。果てはスコアの誤魔化し、過少申告といった事態さえ発生する。(疑念を持たれるプレーは同伴競技者が見ている。特に指摘がなかったとしても無言でスルーしてくれただけ。そう思っていて間違いはない)
親だからこそ出来ること。
彼らの成長を見守る温かく永い目を持つこと。
子供達が、これから先を生きる術を身に着けてくれたなら、これに勝るものはない。