障がい者ゴルフ協会の設立
今を去ること8年前、平成19年の春のことだったと思いますが、義足をつけた足を引きずった人やあきらかに脳梗塞の後遺症と思われる半身不随の人など、5名の障がい者の方たちが、突然東京の筆者の事務所に訪ねて来られたのです。何事が起こったのかと不安な思いでお会いすると、いきなり、
「三重県で厚生労働大臣杯全国障がい者ゴルフ大会を開催しているゴルフ場の理事長から紹介されて来たのですが、私たち障がい者のゴルフ協会を作ってくれませんか?」
「え?皆さんゴルフをやられるんですか?どうして私にそんな大儀なことをおっしゃるんですか?」
「いや三重県の理事長に相談したところ、あなたに頼めば何とかしてくれると思うよ、と言われてきたんです。」
もちろんこの三重県のゴルフ場の理事長とは以前からトーナメントやメンテナンスのことなど相談を受けていて、親しくしていた方なのですが、さすがに障がい者の方々を目の前にすると、簡単に「はい、わかりました」と返事はできません。
「もっとこれまでの経緯と状況を教えてくれませんか?」
ということでお越しいただいた一人一人話を伺ったのです。すると、それぞれ、「私は、現在59歳ですが、建設会社で現場監督として働いていた24歳のころ、建築中のビルの9階から落ちてしまって足を切断してしまいました。」
「私は、ある上場企業の営業部長でバリバリに働いていたのですが、51歳の時に突然脳出血を発症し、左半身マヒとなってしまいました。」
「私は大手自動車メーカーの販売店で整備士マネージャー職に付き、管理者ということで忙しくしていたのですが、37歳の時に若年性脳出血を発症し、左半身マヒになってしまいました。」
「私は、現在61歳ですが、18歳の時に若気の至りで大型バイクで転んでしまい、右ひざ下を切断してしまいました。」
「私は、現在61歳ですが、小学校に入る前にまた関節カリエスという病気となり、それ以来約50年間まともに歩ける状態ではありませんでした。」
そして
「でも私たちにはゴルフがあるんです。障がい者もゴルフを楽しめるということがわかり、ゴルフを始めたところ、社会復帰も早くできるようになったのです。またややもすると引っ込み思案になりがちな障がい者ですが、ゴルフをやり始めてからは、物事を前向きに考えることができるようになり、人生を積極的に考えるようになったきたのです。だから同じ境遇の障がい者の皆さんにも、もっとゴルフをやれるような環境を作る協会を立ち上げてもらい、さらにゴルフというスポーツそのものにもっと親しめるような環境を作ってほしいのです。」
さすがにこの時ばかりは、『これは大変なことになったぞ、でもこれを断るわけにはいかない』という思いになってしまったのです。
そしてそれでは、試しにゴルフ場に行ってプレーしてみようということで、ご一緒したのですが、なんと皆さん上手なことか。右手一本でうまくドライバーを駆使して飛ばす、あるいは片足が義足でも、バンカーショットなんてなんのその。しかもプレーのスピードも速い。ゴルフの基本である楽しいコミュニケーションもできる人達だったのです。そこで筆者もこの設立を手伝うことを決心。
このような経緯で設立した団体が『NPO法人ジャパンハンディキャップゴルフ協会』です。平成19年11月のことでした。
設立後は、現在に至るまで毎月のようにあちこちのコースで競技を行い、懇親会やレッスン会、合宿も開催しています。2011年の東日本震災後は、福島県の障がい者の応援のために福島県庁の職員の方と一緒にゴルフ交流会なども行っています。そんな活動が次第に認められるようになり、設立時5名ほどでスタートした会員が今では150名にもなりました。
もちろん手足に障害を持つ人達ばかりではありません。聴覚障害者や全盲の会員もおります。福島県在住の全盲の会員は、一昨年英国で開催された世界ブラインドゴルフ選手権で3位に入賞を果たし、また栃木県在住の右手首から切断した会員は、義手を使いながらもPGAのティーチングプロテストに合格し、更に彼は、45歳ながらプロトーナメント出場を目指しプロテストに向かって練習中です。
ゴルフの本質を教えてくれた設計者とセントアンドリュース
こうして考えてみると障がい者をこんなに夢中にさせ、そして人生に対する考え方まで変えてしまうゴルフの本質とは何なのでしょうか?またゴルフというスポーツの役割というのは何なのでしょうか?世界中で最も多くの人達が親しみ、500年以上もの長い歴史を持つゴルフの真髄とはなんなのでしょうか?
筆者にこのゴルフの本質とは何かという命題に対し、ヒントを与えてくれたのは、筆者のゴルフ設計の師匠で、ゴルフに関するあらゆる知識を教えてくれたゴルフコース設計家のデズモンド・ミュアヘッド(故人)氏でした。さらにこのゴルフの本質に関し、ゴルフの歴史に直接肌に触れさせてくれたのが、ゴルフ発祥の地、今年の全英オープンの開催コースでもあった、世界のゴルフの聖地と呼ばれるセントアンドリュースのコースそのものでした。
デズモンド・ミュアヘッド氏は、元々都市設計家として活躍していた人でしたが、世界で最初に住宅とゴルフコースの複合施設を発表して以来、世界各国で採用され、今ではどの国に行っても、住宅に囲まれたゴルフ場を見ることができますが、彼がその生みの親だったということです。この方式で米国では爆発的なゴルフ場建設ブームが起こりました。設計家としては、セントアンドリュースのように各ホールにニックネームをつけたり、バンカーにもニックネームを付ける方式で、様々なシンボルを造り、それをモチーフにしてグリーンの形にしたり、バンカーの形にしたりする作風でした。これはプレーヤーが、楽しくコースと語り合いながらプレーするというセントアンドリュースの方式を形作ったものでした。{セントアンドリュースには、高さ2mを超えないと出ない『ヘル』(地獄)大きなバンカーや人間の鼻に似た形のマウンドとバンカーには、『校長先生の鼻』と名付け、攻略して校長先生の鼻を明かしてやれ、という意味のネーミングをしているバンカーなどがあります。}また彼は、ジャック・二クラウスやアーノルド・パーマーなどの世界の名プレーヤーの設計パートナーとしても名高く、代表作は米国オハイオ州にあるミュアフィールドヴィレッジGC。現在も第5のメジャートーナメントとして人気の『メモリアルトーナメント』の開催コースとしても有名ですが、昨年松山英樹プロが米国ツアーで初優勝を飾ったコースとしても話題になりました。
筆者は、彼がまだまだ元気に活躍中の20年ほど前、米国在住の彼の家に寝泊まりし、彼の設計の工事中のコースに一緒に出掛け、ゴルフ場の造り方、ゴルフ場の役割、ゴルフの歴史やゴルフマインドなどを、芝のまだない工事中のゴルフコースを歩きながら薫陶を受けました。また世界のゴルフ場の基本は、スコットランドのゴルフの聖地セントアンドリュースにあり、世界のゴルファーのゴルフマインドもこのセントアンドリュースに培われたものだという信念を持つ同氏とは、2度ほどセントアンドリュース現地にご一緒し、コースを歩きながらその魅力について講義を受けました。しかしながら、あまり有能な弟子ではない筆者は、なかなか理解することができず、その後何度かセントアンドリュース現地を訪れる機会に恵まれ、町の端から端まで、またコースの隅から隅まで歩きました。
もちろんこの程度のことで、過去500年以上もの歴史を作ってきたゴルフというスポーツの本質を語れるほどの知識を得たわけではありませんが、その歴史を垣間見たというレベルまでは言えるかもしれません。
そこで言えることは、ゴルフというスポーツは、まさに人生と同じで、困難を克服していくスポーツだということでした。世界中のどんな人でも、人生様々な問題や困難な状況に出会います。それらの問題を一つ一つ解決していきながら、それぞれの人の人生を形作っていく、ということと相通じるものがゴルフには感じられるということです。
つまりゴルフというスポーツは、大自然の中に身を置き、まず雨や風、天候との戦いがあり、さらにゴルフ場の各ホールには、バンカーやラフ、木々や池などのハザード、つまり罠が存在するスポーツです。どの程度厳しいものかは、コースによりレベルが違ってきますが、ゴルフはそれらのハザード、罠を様々な方法で克服して目標に向かっていく、ということになるのです。そして頭脳と身体能力を駆使し、ある時は、果敢に罠に正面から乗り越えてみたり、あるいは無駄な喧嘩はせず、ちょっと遠回りでも罠を避けていくルートを選択したりして、コースを克服していくというものです。そしてたどり着いた目標のグリーンでは、アンジュレーションやボールの転がるスピードや芝の芽との戦いが最後には待ち受けているということになるわけです。
このようなコースとの戦いが、障がい者の皆さんに受け入れられてきたという意味は、彼らの人生でこれまでのり越えてきた困難、あるいはこれからのり越えないといけない困難にチャレンジする精神を育み、同化していると感じるのではないでしょうか?もちろん健常者にとっても同様なのですが、この罠が厳しければ厳しいほど、克服した時の達成感が大きく、これが次のステップへ取り組んでいくの原動力になっているのではないでしょうか?またこの克服する努力がゴルフの醍醐味にもなっているかもしれません。
基本的にゴルフは、プレーヤー同士の会話を楽しむ、ゴルフコースとの対話を楽しみつつ、困難なことに立ち向かっていくスポーツだということになります。そしてさらにゴルフは、人間の精神を鍛えたり癒したりしながら、打ちのめされた精神を回復させる方法も教えてくれるような気がします。