中村寅吉プロとの出会い

初めまして。
ゴルフ評論家の大西久光です。
この度、日本ゴルフジャーナリスト協会に入会させていただきました。
私のブログで掲載していた記事をこちらのサイトでもご紹介させて頂きます。

ブログでは私の長いゴルフ歴でお目にかかった名手の言葉を紹介していきたいと思っております。

まず最初の言葉は、
私の人生で大きな転機になった、名手「中村寅吉プロ」の言葉から。

トラさんが教えてくれた「バンカーショットのレッスン」を紹介します。

それではさっそく、中村寅吉プロとのエピソードをお話していきたいと思います。

昭和34年、ダンロップに入社した私は「DUNLOP65」というゴルフボールの販売員として東京で勤務することになりました。

そして、このゴルフボールを世間に広めるためには当時No1.プロだった中村寅吉プロにボールを使って貰うことが1番だと思い、砧ゴルフ場へ通うのが初仕事になったのです。

それからわずか4ヶ月で、予想以上にボールが売れるようになったのですから、トラさんは私の大恩人です。

さて、そんなトラさんの試合を応援に行った時のこと・・「おい、大西、これ入れるからな」
と、バンカーの中に居るトラさんが叫びました。

さらに、その言葉どおりに入ってしまったのです!この光景を目の当たりにした私が、バンカーの神様、トラさんにレッスンをお願いしたのは言うまでもありません。

 

トラさんとのレッスンが、いよいよ始まりました。
まず、トラさんはぶっきらぼうに「板切れを持ってこい」と、私に言い
言われた通りに板を持って行くと
「おまえこの上のボールを打つ練習しろ」とだけおっしゃるのです。

何か質問したくても、それ以外は「うるさい」と、一言のアドバイスもありませんでした。

そこで私は、次の日曜日から、練習場の隅に隠れて、板の上のボールを打ち続けたのです。

それが当時誰もやらなかったロブショットであることを
知ったのは、数年後のことでした・・・

ABOUTこの記事をかいた人

1937年兵庫県西宮市生まれ
1995年 関西学院大学商学部に入学。大学時代ゴルフ部キャプテンとして関西リーグ戦に優勝。
1959年 関西学院大学を卒業し㈱日本ダンロップ(現:住友ゴム工業㈱)に入社。
ゴルフボールの販売推進を第一歩に、ゴルフ用品の商品開発に従事するなど、ゴルフビジネス一途に専従する。
1973年 ㈱ダンロップスポーツエンタープライズの創設と同時にゼネラルマネージャーとして出向。
1975年 同社取締役就任、1982年 同社常務取締役就任。
1986年 住友ゴム工業㈱及び㈱日本ダンロップに帰属し、スポーツ用品副事業部長。1988年 取締役
スポーツ事業部長。1991年住友ゴム工業㈱常務取締役に就任。
1994年 ㈱ダンロップ スポーツ エンタープライズ代表取締役副社長。
1998年 同社代表取締役社長に就任。
住友ゴム工業およびダンロップスポーツエンタープライズ在籍中、トーナメントディレクターとして約300のプロゴルフトーナメント、テレビマッチやゴルフレッスン番組など約600本を企画運営する。1973年よりテレビ解説を始め、約350本のTVマッチ及びダンロップ
フェニックストーナメントなど約150本以上のトーナメント解説を行う。
ゴルフトーナメント、ゴルフイベントのプロデュースを行う事で、ゴルフコース設計の重要性を認識し、ゴルフ場設計にも関わる。
1999年 住友ゴム工業㈱および㈱ダンロップスポーツエンタープライズを退職退任
㈱ターゲットパートナーを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
現在の主な役職
公益社団法人 ゴルフ緑化促進会 理事長(2007年 就任)
日本ゴルフ関連団体協議会 常任理事(2007年 就任)
NPO法人 日本芝草研究開発機構 副理事長(2008年 就任)
㈱サイプレスクラブ 代表取締役社長(2003年 就任)
南部富士㈱ 取締役(2002年 就任)
ゴールドウイン開発㈱ 顧問(2006年 就任)
ゴールデンバレーゴルフ倶楽部 評議員、理事、キャプテン(2008年 就任)
千刈カンツリー倶楽部 アドバイザー(2014年 就任)
サンコー72カントリークラブ 顧問 (2014年 就任)
魚津国際カントリークラブ 顧問 (2015年 就任)
メモリアルトーナメント・キャプテンズクラブ(USA) メンバー(1985年 就任)
主な著書
Golf World & Nippon(2009年5月)
温故知新(2006年6月)
ゴルフ雑記帖(2000年10月)
青木功の諦めないで自分を変えろ(1998年3月)
ゴルフボール-その飛びの秘密(1986年12月)