ゴルフそのもののあり方について「真のスポーツには庶民の支持がある」 ~山根 清子~(日本ゴルフ100年祭記念論文)

ゴルフは立派なスポーツである。野球、サッカー、陸上、それらのものは出発当初はいずれも遊びであった。ゴルフも同じ。後年、娯楽からスポーツに転じた。ゴルフでいえば、歴史的には定かではないが、羊飼いが始めたという。それがイギリス貴族に伝わり、日本でも昭和天皇が手を染めて、貴族の遊びといわれていたが、決してそうではない。一部の貴族の遊びでは、庶民に広がらないからだ。野球しかりサッカーしかりである。ましてマラソンがギリシャの発祥からオリンピックのメイン競技になったことが、遊びからスポーツへの変遷を物語っている。遊びが広まり、多くの庶民に受け入れられ、そして定着すれば、それはスポーツである。
1500万人のゴルファー人口。それが本当だとすれば、ゴルフは真に庶民に支持されたスポーツである。庶民あるいはファンに支持されないものは逆にスポーツではない。日本のゴルフが真のスポーツであるかどうかは、各論にしかすぎない。すでに庶民に定着したゴルフであるのに、ゴルフ業界、マスコミ関係者がことさら真のスポーツ云々にこだわることに疑問を呈したい。日本はゴルフにパチンコ、麻雀と同じように税金がかけられている。そんな意識が未だに強いのではないだろうか。

くどいがゴルフは真のスポーツである。1500万人の人口が物語っているではないか。いろんなスポーツがいろんな国で独自のカテゴリーで広まっているように、日本でもゴルフは同じである。パブリック制やムニシパルが少ない日本で、それが何であるかを考えるべきである。一部に高級パブリックがけしからんという声があり、また一部に法人専用のクラブは邪道という声がある。果してそうだろうか? 海外でもそうしたクラブはいくらでもある。一方で海外には料金の安いムニシパルがあり、日本には少ない。
日本のゴルフの原点は神戸の六甲である。しかし、その後の日本はゴルフ普及時代に六甲ではなく、数多くできた料金の安い河川敷ゴルフ場を庶民が利用した。ここが多くのゴルファーを輩出した原因である。高級パブリック、法人専用クラブ、完全なるメンバークラブ、いずれも日本のゴルフ場にある。しかし、庶民派ゴルファーは、庶民派ゴルフ場に向かった。これが現実。ゴルファーにとって選択肢が「多い=安い」方がいいに決まっている。たまにグレードの高いゴルフ場に行っても、それは経験である。
真のスポーツ・ゴルフを謳うためにゴルフがハーフで食事をとり、プレー中にタバコを吸うことがネックといわれる。だが、そうだろうか。野球にハーフタイムはないが、いつでも飲食自由。サッカーもハーフタイムに軽食をとる。ゴルフが取り立てて奇異な存在ではない。「ゴルフを本当のスポーツに」の命題はすでに達成されている。