霞が関では意味がない東京五輪!都知事選とも関係。

都知事選挙を目前に控え、東京は日々、騒がしい。2人続いて〝政治とカネ“の問題で途中退場した知事の後任として21人もの候補の中から誰を選ぶのか。都民の良識が問われている。〝主要三候補”を勝手に決めつける大手メディアの偏向報道は目に余り、これに対して他候補の有志6人(上杉隆、山口敏夫、マック赤坂、七海ひろこ、中川暢三、立花孝志)が、在京テレビ局やBPOに是正を求める要求書を送ったことも話題となっている。

都知事選がなぜ、ゴルフ関連の記事につながるのか。2020年東京五輪の会場決定に都知事は大きな権限を持っているからだ。

112年ぶりにゴルフが五輪競技となるリオ五輪は間もなく開幕。4年後の東京でもゴルフが行われることが決まっており、その会場は霞が関CC(埼玉県)としてすでに発表されている。しかし、これに反対する声は少なくない。かくいう筆者も反対派の一人だ。

なぜ、霞が関CCが五輪ではいけないのか。ハッキリ言って、霞ヶ関では五輪の舞台でゴルフ競技を行う意味が激減してしまうからだ。そもそも、ゴルフが五輪競技に復帰したのは、世界のゴルフ界が一つになって国際オリンピック委員会(IOC)に働きかけたから。2003年にWorld Amateur Golf Councilという団体を、プロを含めた包括的国際団体International Golf Federation(IGF)に変えた時点で、五輪復帰は目標となっていた。2008年から積極的に五輪復帰を目指して世界のトップゴルファーを巻き込んだ活動を始め、これが奏功。2016年リオ・デ・ジャネイロ、2020年東京の2度の五輪でゴルフが行われることが決まったのは周知のとおりだ。底辺拡大を狙う世界のゴルフ界にとっては万々歳のはずだった。ところがそこから先がうまくない。コース建設から波乱続きのリオは、トッププレーヤーたちの不参加が相次ぎ、競技フォーマットを含めて次の東京に向けて課題は山積している。

ところが、東京もすでに問題を抱えている。競技会場を霞ヶ関CCにしたことだ。霞が関が舞台では「ゴルフの普及」という最大の目的がほとんど失われてしまうからだ。リオ終了後に決定する次のフォーマットがどのようなものになろうとも、プライベートコースの霞が関が舞台では、五輪で大切なレガシー(遺産)がほとんど残らないのだ。

五輪でゴルフに興味を持った人が「あのコースでプレーしてみたい」と思っても、プライベート(メンバーシップ)の霞が関では、自由にプレーできない。機会が得られることがあるとしても、それはプライベートコースが「ビジターにプレーさせてやっている」という形に過ぎない。ゴルフに対するハードルを下げることにはならないのだ。

一方、パブリックコースで五輪競技を行えば、後日、そこで誰もがプレーすることができる。限られた者以外にもがレガシーとして五輪コースが残るというわけだ。そこで見た五輪をきっかけに、そこを訪れる者が現れたり、ゴルファーが増えたり。日常からゴルフ観戦するファンが増えることにつながる。これこそが底辺拡大だ。日本選手メダルを取ることも重要かもしれないが、それよりはるかに大切なのは、五輪をきっかけにゴルフに興味を持つ人が増えること。霞が関CCが会場となるのでは、そうはいかない。たとえ人気が出ても一過性のもので終わってしまう。それどころか「やっぱりゴルフは金持ちのスポーツだ」という意識を上塗りしてしまう危険すらある。

だからこそ、パブリックコースでの開催が必須となる。最適なのは東京都が持っている若洲ゴルフリンクス(東京都江東区)というわけだ。

ゴルフの振興は、50年先、100年先を見据えて行われるべきものだ。日本という井戸の中を現在牛耳り、食い物にしている者たちのプライドや、虚栄心を満足させるためのものであってはならない。この単純な理屈に、東京五輪のゴルフ競技に携わる面々の多くが耳を傾けようとしていないのが現実だ。

東京都知事は、東京五輪の会場決定に大きな権限を持つ。候補者の一人、上杉隆は、学生時代からゴルフを愛し、日本ゴルフ改革会議事務局長として東京五輪の霞が関開催に反対。若洲開催を主張している。これには大いに賛同できる。

スポーツと政治は切り離すべきかどうかという議論は度々、行われてきた。しかし、現実として五輪は政争の具として利用されているし、政治を利用せずにスポーツ、とくにプロスポーツが成り立つことも考えにくい。都民として、また縁あってゴルフに携わる者として50年、100年先のことを考える時、何が必要なのか。これを機会に改めて考えたい。

遠藤淳子

The Tokyo Chronicle 2016年7月28日

五輪若洲開催に影響大の都知事選!