(左が岩田禎夫著「マスターズ 栄光と喝采の日々」 右が松山の追悼メッセージも入れられた「偲ぶ会」の小冊子)
勇気を奮い起こして振り抜いた18番のティーショット。松山自身も「最初から最後まで緊張しっぱなしで終わりました」と振り返り、優勝へのポイントをきかれると「18番のティーショットがフェアウエーに行ったこと」と答えていました。プレッシャーを乗り越えていく姿に、多くのファンが感動を覚えたのだと思います。
私自身が、今回のマスターズ中継で、最も感動を覚えたのは、実況の小笠原亘アナウンサーが、最後の最後で語ったひとこと。
「我々(TBS)の放送スタッフとして、長年支えてくれた天国の岩田禎夫さんにも『松山が勝った』という報告を、ここでさせて下さい」。
岩田さんは、私を米国特派員として派遣していた東京スポーツの専属評論家も務めておられました。駆け出しの時代から指導いただき、師と仰ぐ存在でもありました。
全英オープン、全米オープン、全米プロ、全米女子オープンなど、多くのメジャーでご一緒しました。こうした試合では取材も食事もご一緒させていただきましたが、マスターズだけは別でした。
1976年から石井智アナウンサーとのコンビで解説席に座っている岩田さんの軸足はTBSにあり、お会いするのは早朝のプレスルームのみ。岩田さんがマスターズの実況に入る時は、直前までの生情報を2週前に開催されていたTPCや、前哨戦のグリーンズボロオープンなどで直前の生情報を仕入れ、前週の土曜日か日曜日にオーガスタ入りするスタイルを取られていました。
日曜日の午前中、オーガスタ・ナショナルに入ると、早速コースのチェック。月曜日と火曜日は選手たちの練習を見ながら新しく手が入ったグリーンなどの状態や、ラインをつかんで、実況で「ここは左に大きく曲がるでしょう」などと解説に役立てていました。
岩田さんはその合間を縫い長年の記者生活で培われた人脈を駆使して、各国の記者からそれぞれの母国のスーパースターたちの情報を仕入れてもいました。場所はクラブハウス前のオークツリー付近と練習場。そこに選手も、各国のマスコミも集まってきます。「ここにいるのが一番いい。情報が一番入ってくるところだから」と教えてくれた岩田さんの笑顔が、昨日のことのように思い出されます。
開幕前に山のような情報を整理し、マスターズが開幕すると実況席へ。そのためマスターズウイークは早朝のプレスセンターで一緒にコーヒーを飲む程度しか時間はなく、夕食をともにした記憶もありません。まさに全身全霊を傾けたライフワークが、マスターズ取材だったにちがいないのです。
その岩田さんが「マスターズ 栄光と喝采の日々」(ACクリエイト/ACBooks刊)を上梓されたのが2012年の春。3月6日に東京プリンスホテルで開かれた出版記念パーティーには、親交のあった石原慎太郎、青木功、岡本綾子さんら多くの著名人が駆けつけてくれました。
それから4年間、月に一度、まずは帝国ホテルのインペリアルバーに集まり、銀座コリドー街の「十勝屋」で夕食会を開くようになりました。かつて愛したシャブリよりも「体にいいから」と赤ワインを好んで飲むようになられました。筆者の出身地である山梨の赤ワインである「穂坂」を気に入られ、ワイングラスを傾けながら多くの貴重な体験談をお話してくれました。
そんな日々を送られていた岩田さんが、鎌倉市腰越のご自宅で倒れ、市内の病院で亡くなられたのは2016年の10月26日。赤坂で行われたお別れの会では、青木功、中嶋常幸、小林浩美ら多くのプロが、生前の思い出やエピソードを語ってくれました。
この時、作られたのが右の写真が表紙の小冊子です。最終頁には松山英樹選手の追悼メッセージも添えられていました。
その中には、こんな一文が書かれていました。
「(前略)今日、私を含む日本人選手の海外での活躍が日本のファンに届けられるのも岩田さんがその基礎を築いて下さったおかげです。
心から尊敬と感謝をささげます。
岩田さんが長年に渡って伝えてこられた海外のゴルフの魅力を、
私も自らのプレーを通じて日本に伝えられるように精進して参ります。」
その約束を、約4年半後の今日、松山選手は見事に果たしてくれました。
小笠原アナの言葉通り、天国の岩田さんも、きっと喜んでくれていると思います。
小冊子の表紙にもある、屈託のない笑顔で。 (会長 小川朗)
コメントを残す