日本選手が世界で通用する日は来るのか ~西村 國彦~

2015年12月14日、日本ゴルフジャーナリスト協会主催でタウンミーテイングが開催されます。題して「ここがヘンだよ 日本のゴルフ界Ⅱ」そこでは討論テーマの第1に、『世界に通用しない日本人プロゴルファーの根源的な脆弱を問う』が挙げられています。

たまたま2012年1月、同協会新年会で似たテーマで講演をしたことから、今般上記討論テーマのたたき台として、若干の補充をした上で、文章化しました。タウンミーテイングでの討論の充実に寄与できたら幸いです。

1 一般的に言われていること
まず体格(体力)でしょう。欧米選手は体力があるのでむしろ体力をコントロールしながらショットをするが、日本人は非力が故にフルショット主体にならざるを得ない。石川遼や田中秀道ほか男女とも最近は小型名選手が多い。

次に、飛距離はどうか。10年間オーガスタで見てきたが、日本人は見劣りしないという感想を持っている。パー5をすべて刻んでザック・ジョンソンが優勝した2007年、片山は13番セカンドでグリーンを狙っていた記憶がある。また、2011年最終日18番、石川・松山いずれもウエッジで左手前のバンカー越えピンでバーディを取っていた。カブレラ、Dジョンソン、Bワトソン、キロスなども飛ぶけれど、2007年オークモントでのカブレラはこれらの飛ばし屋の遥か先まで飛んでいた。ただ最近の下部ツアーから上がってくる飛ばし屋選手達の層の厚さは、日本にはないものだろう。

言語力はどうか。青木とジャンボ尾崎のコミュニケーション能力の差が、海外成績の結果で出た印象は否めない。石川遼・宮里藍はそれなりに流ちょうにしゃべるように見えるが、内容はまだまだだろう。今田のように若い時から根付かないと、また、KJチョイのようにどっしり居を構えないと、本物の英語にはならないし、米国人からは本気で付き合って貰えない。ダラスとかLAとかで知り合った日本人アマチュアゴルファーたちは、いずれも家族で数十年その地に住みつきコミュニティにとけ込んで、地元のレベル高いカントリークラブになじんでいる。腰掛けの人間とどっしり海外に腰を落ち着ける人間では、周りの扱いが変わるのは当然のことだ。

ハングリーでないこと、つまり、日本でそれなりに食べられるということが、海外での活躍を阻害していることは明らかだ。韓国や中国選手は、明らかにハングリーさを持っている。またホスピタリティもある。メジャーの練習日、韓国選手たちはギャラリーへのサインに積極的だ。ニックファルドやニクラスなどのメジャーチャンプたちだって、ギャラリーの目をしっかり見つめながら、やっていた。日本選手はといえば、石川遼や池田はすごく積極的だが、片山世代以上になると消極的だ。

メンタルトレーニングの重要性は、日本でも認識され始めてはいる。海外では、かなり前から、ボブ・ロテラとかがプロアマ問わず、効果を実証している。日本女子プロもピア・ニールソンなどスウェーデン流トレーニングで効果を出し始めたか。

技術的問題は、最近スイング解析機器の発達で、新たな解明がすすんでいる。それをいち早く取り入れて結果を出すプロコーチの存在は、海外では大きい。タイガーですら常にコーチを雇っている。練習量とその質については、ビジェイ・シンやB・ワトソンらの独自の練習法からの活躍もあるが、一般的には、結局コーチの質に左右されている。日本の男女プロの多くが父親レベルからアドバイスを受け続けている、というのはプロスポーツとしては、違和感を覚えるところだ。

2 私が言えること

私が言えることは、実際この目で見たメジャートーナメントでの上位選手のエピソードと、プレーしたり実際に見た世界(米国・英国・アイルランド・豪州・アジア)のすばらしいコースから、ヒントを提示することぐらいだ。

特に最近のメジャー優勝選手を輩出しているアイルランドのコースと優勝選手を取り上げてみたい。

まずは、2011年全英チャンプで2016年ライダーカップキャプテンのダレン・クラークから。日本に来て太平洋クラブ御殿場コースで2連勝。4つのパー5がすべてパー4になっていた男だ。

2011年のRセントジョージス3日目は風雨すさまじく、最終日も一時雨風があった。しかし彼は荒れた天気になるとジャンパーを羽織り、すさまじいほどの安定感を示しながら、追いすがるアメリカ勢を寄せ付けず優勝。

予選2日間で終わった石川遼との力の違いは相当なものであった。

今田にしろ、石川遼にしろ、リンクスゴルフの勉強は足りていない。特にバンカー対策ができていなかった。今田は全米OPのラフをこなせる能力を持っている。他方、日本から日本予選ルートで全米オープンなどに来る選手たちは、現地で急遽ラフからのショットを練習している。でもそんな付け焼き刃では世界に通用しない。

その意味では、太平洋御殿場のコースは、景色は良く気分は良いが、ラフを伸ばさない限り、そして抜本的改造をしない限り、現状では易し過ぎるコースなのだ。同クラブのクラブチャンピオン決勝は、太平洋クラブマスターズと同じフルバックでやるけれど、中年のアマチュアが18番で松山と同じあたりから7,8番アイアンで2オン可能なコースである。

他方、Dクラークがホームコースにしている北アイルランドのロイヤル・ポートラッシュは、唯一アイルランドで全英OPやったコース(1951年。2019年に2回目の開催決定)だ。雰囲気は最高のリンクスだが、曲げたらスコアにならないし、風は強い難しいコース。丘の上から全景が見えた瞬間、感動また感動する美しいコースだが、砂山とブッシュに囲まれ、風と折り合いつけながら回る18ホールは、本当にチャレンジングな戦場というべきコースである。

ベルファストの南にあるロイヤル・カウンティダウンは、パインバレーの次にサイプレスポイントと並んで評価される名門だ。海沿いに行ってこいのやや単調にも思えるコースだが、常に風が吹きまくり、風を折れ合いながら回るコースだ。ブッシュに入れるとスコアにならない。タイガーも結構叩いたとか。ポートラッシュより貴族的雰囲気はあるが、2015年5月、アイリッシュオープンで、世界にそのコースの姿を現した。黄色いゴース(ハリエニシダ)が咲き乱れるコースは、ボールを曲げると一瞬で地獄となる。

マキロイはリンクスよりアメリカのコースが好きだと言うが、2011年マスターズの最終日大崩れした。テレビ映像では10番から崩れたように見えるが、現場で見ていると、最終日は1番2番あたりからもうおかしい雰囲気はあった。オーガスタへの思いを、毎晩友人とのサッカーで紛らわしていたのであろうが、最終日バックナインのプレッシャーはすさまじい。

メディア関係者は3日終わってほとんどがマキロイ優勝を信じていた。代わって出てきたジェイソン・デイ、アダムスコット、シャール・シュワーツエルの若者たちは、最終日バックナインをノープレッシャーでバーディ量産。優勝したシュワーツエルに至っては、強気のパットが最終18番まで続く勢いと精度を持っていた。マスターズ最終日バックナインで優勝がちらついたときのプレッシャーは、今の若手にはなくなりつつあるのだろうか。

マスターズでのマキロイの崩れ方は3日目まで首位だった者に特有なものだろうか。でも、マキロイは2か月後、2011年コングレッショナルの全米では、オーガスタの失敗を教訓に4日間完全なゴルフをした。

パドレイグ・ハリントンも、メジャートーナメントに勝つ前から、オーガスタで粘るゴルフを展開していた。若干スロープレーとも思えるスタイルからだったが、多少のミスをしても、常にバーディをとって戻ってくる、日本人には少ない粘り強さを感じる選手だ。2008年、全米プロと全英で連勝したのは、やはり風に強く、また最終日に強いゴルフが、ガルシアとノーマンを制した。
観光では南北一体のアイルランドでは、ダブリン周辺のロイヤル・ダブリン、ロイヤル・ポートマーノック、ゴルフジャーナリスト出身のパット・ルデイ作のユーロピアン・クラブなどのほか、西海岸まで行くと、ここでプレーしてから死ねといわんばかりのバリー・バニオンとラヒンチがある。

全英オープンの頃、タイガー・オメーラはユーロピアン、トムワトソンはバリー・バニオンとかのお気に入りコースを訪れるという。

しかしこれらの名作コースも常に経営危機と紙一重だったという。バリー・バニオンなど海岸浸食により多大な経費がかかり、オープン後倒産に近い状況があったという。しかし日本のゴルフ場倒産と異なり、そのような危機には救世主が現れゴルフ場を再建してしまう。その後アメリカ人たちが隠れた宝石(ヒドン・ジェム)を再発見したと評価して世界的評価を獲得。ともに絶景の中、吹きすさぶ風の中のプレーを強いられる。中途半端な弱いショットでは太刀打ちできないコースたちだ。

石川の未来はいまいち明るくないように見えるが、まだまだだろう。2015年秋、あのオンザバブルの余裕のまったくない状況で、USツアーシード権を獲得した力は評価したい。

ひょうきんな岩田と楽しく練習ラウンドをすることで、ともに活路を切り拓いてほしい。

また、人気はともかくとして、松山の体力・飛距離とパットのうまさは注目に値する。お金と女性問題をうまくこなせば、世界一流になることは可能と思う。
今までのわが国で、マスターズのベストアマなど考えられないこと。初優勝が二クラスのメモリアル・トーナメントであり、二クラスに動じなかったあの鈍感力は、世界では必要なものである。

3 日本人選手が世界で活躍するヒント

まずは、小ワザ(100ヤード以内、30ヤード以内のアプローチとパッティング)の充実だと思う。古くは青木の1980年全米オープンでの二クラスとの4日間対決、近年では宮里藍の飛ばし屋ヤニ・ツエンとの共演が参考にはなるだろう。

世界一に1度はなったルーク・ドナルドを見ていると、日本人にも世界一の可能性があることがわかる。彼のグリーン回りの練習量は、半端なものではない。特にルークのパッティングのすばらしさというか精神力の強さは、光るものがある。メジャーチャンプになれれば、文句なく世界一の選手。ちなみにルークは、宮崎によく来ていたが、映像でパッティングフォームをショートゲームのコーチに送り、オープン気味だったアドレスを多少修正しただけで、フェニックスではほかの選手を寄せ付けない。

次に、選手層の厚さの問題。世界中から次々新人たちが出てくるし、ポストタイガーの活躍年齢層は下がる一方だ。日本選手もアジア・欧州も含め世界に出ていくべきだし、プロツアー自体も、USツアー欧州ツアーとコラボしてやっていかないと、スポンサーもついてこない。アジアは、ゴルフのレベルもコースのレベルも上がっている。毎年ゴルフコース・アナリストたちがアジアに来て、アジアのコースを検証しているし、世界のツアーをUSツアーが吸収する時代との危機意識が必要だ。日本ツアーしか見ていないと、スポンサーからもファンからも、日本のゴルフツアーは見放されること必定と思う。

ミニツアー等下部ツアーの充実は、US下部ツアーの充実ぶりからも、その必要性が明らかだろう。激しい競争のないところでは、強い選手は育たない。体を鍛えていないところでは、強くなれるはずがない。

PGAと国内コースの連携ももっと必要だ。理想はPGAがゴルフコースを保有し、そこでUSツアーのTPC各コースのようなトーナメントも開催できるのが、望ましい。でも太平洋クラブとPGAが茨城県の益子コースで始めたやり方も、はじめの一歩として評価できる。「コースがプロを育てる」、「コースがゴルファーを育てる」というのは言い古された言葉である。

最後に、一人で移動することについて。メディアの世界も同じことであるが、海外で日本人同士が固まって行動する傾向は変えたい。ヤニ・ツエンなど、あれだけ稼いでも、左手に携帯ナビを持ちながら一人でレンタカーで移動しているらしい。また世界一になったルークなども、宮崎から成田への移動はわれわれと同じく、一人で空港に行き、長い行列の後ろについて、黙々と順番待ちをしている。

自立した一人の人間に成長しなければ、ただのゴルフ上手で終わってしまう。

最近私の周りの若手プロたち、特に男子プロがQTで数年芽が出ないと、転職するケースが増え始めたようだ。確かに私が取材したUSミッドアマチャンプ、ケビン・マーシュは、プロへの道をあきらめ、ラスベガスの不動産屋として大成功した男だ。ただ彼のように、ゴルフがあきらめきれず、アマチュア復帰してゴルフを再開し、USミッドアマチャンプとしてマスターズ出場という夢のようなストーリーは、わが国では稀有のこと。

でも、ゴルフ歴5年程度で才能のあるアマチュア選手がどんどん登場してくる時代、日本人選手が世界に通用する日はそう遠くないのでは、とも思うこのごろだ。青木も、日本人にはメジャーは取れないと思い込みがちだったと思うが、見事、想定外だった井戸木鴻樹プロが2013年全米シニアプロ選手権で優勝したのだから、あきらめる必要はまったくないと思う。

以上

ABOUTこの記事をかいた人

1947年生まれ。東大法学部卒。1976年弁護士登録(東京弁護士会)。
現在さくら共同法律事務所シニアパートナー。
1997年通産省会員権問題研究委員会委員。
ゴルフ場据置期間延長問題や東相模ゴルフクラブ(現上野原カントリークラブ)をはじめ南総カントリークラブ、太平洋クラブの再建など会員とゴルフ場を守るための活動を実践している。
また実際に自分の目で見てきたメジャートーナメントでの経験や、実際に自分が世界(米国・英国・アイルランド・豪州・アジア)の素晴らしいコースをプレーした経験をさまざまな形で発信しているゴルフジャーナリストでもある。掲載誌は月刊ゴルフダイジェストアルバトロス・ビューゴルフ場セミナーゴルフマネジメントゴルフィスタなど多数。
主な活動・著書
「ゴルフ学大系」のうちゴルフの法律」(1991年・ぎょうせい)
「ゴルフ場預託金問題の新理論」(共同執筆)(1998年・日本ゴルフ関連団体協議会)
「ゴルフ会員権再生の新制度」(共同執筆)(1998年・日本ゴルフ関連団体協議会)
「ゴルフ場再生への提言」(1999年・八潮出版社)
経済産業省サービス産業課「ゴルフ場事業再生に関する検討会」レクチャー(2002年)
「賢いゴルフ場 賢いゴルファーのための法戦略」(2003年・現代人文社)
「平成ゴルファーの事件簿」(2003年・現代人文社)
「ゴルフ場の法律に強くなる!」(2007年・ゴルフダイジェスト社)
「ゴルフオデッセイはにかみ弁護士の英米ゴルフ紀行」(2011年・武田ランダムハウスジャパン)
ほか、近著に太平洋クラブを舞台に会員の全面勝利を描いた
「ゴルフ場 そこは僕らの戦場だった」(2015年・ほんの木)
月刊「GEW(ゴルフ用品界)」に連載された
「ゴルフ文化産業論」(2021年・河出書房新社)がある。