第11回 日本ゴルフジャーナリスト協会 懇話会

3月4日、芝ゴルフ場(2階会議室)において「第11回JGJA懇話会」が行われた。今回は、JGJA会員でもある沼沢雄二氏が「ゴルフクラブに魅せられて~21世紀のゴルフに向かって~」をテーマに、ゴルフに出合った当時の話から現在のゴルフクラブ設計に携わるようになるまで。そしてゴルフに対する思いなど、2時間にわたって興味深い話が展開された。会場には当協会会員をはじめ、各媒体、ゴルフメーカー関係者が出席し、沼沢氏の話に耳を傾けた。今回はその模様をダイジェスト版で再現していく。

まず、ゴルフクラブとの出合いからお話することにしましょう。
ちょうど私がゴルフを始めた頃、父に期待されていた兄が大学へ進学。父は兄にいろいろなクラブを買い与えていたため、私が使用したのはもっぱら兄のおさがりか、もしくはお蔵入りになったクラブばかりでした。このお下がりクラブを手に出場した日本ジュニアゴルフ選手権で、プレーオフの最初のホールでチップインイーグルを決め優勝したのです。
この時から「クラブは面白い」という意識が芽生え、その後は自分でクラブを削ったり、加工したりするようになったのです。
それと同時に、「今までのクラブは兄のおさがりばかりだ。もし自分に合ったクラブがあれば、兄に勝てるかもしれない」という気持ちも沸いてきました。そしてその思いはやがて、「クラブに携わる仕事につきたい」という思いに変化したのです。

「自分にとって理想とするクラブを造って、使ってみて、そのクラブの素晴らしさを証明したい」と、ゴルフメーカーである本間ゴルフに入社しました。
そこで出合ったのは、より宣伝になるような、プレーヤーに評価されるクラブを造るという″カスタム″の世界です。
彼らに新しく開発したクラブを造り与える。そしてそのプレーヤーたちはそのクラブに対する結果を残してくれる。私が造ったクラブに対しての評価を得ることができる。ある種スリリングなこの仕事に面白さを感じていたのもこの頃です。
しかし、この頃から日本は情報化社会へと変貌していきます。私もメディアを通して、海外のゴルフ事情や日本におけるゴルフ人口の増加などを知り、「目の前にある仕事だけではなく、他に何かあるのでは…」と思うようになったのです。
特にひかれたのはアメリカのゴルフ事情でした。その画面を通して見るスイングは全く日本人とは違うもので、今まで気がつかなかった部分を指摘されたような気持ちに襲われました。
本物のゴルフとは何か。今自分が造っているものは自分に集まってくる人だけの道具であって、本来のゴルフクラブではないのではないかと疑問に思うようになった。その気持ちは徐々に「海外へ行きたい」という思いに変化します。
その思いに火をつけたのは、あのジーン・サラゼンの言葉でした。
ちょうど迷っていた頃、サラゼンとラウンドする機会があり、悩みを相談してみたのです。するとサラゼンは「もっと、世界を見ろ!そうすれば違うものが見えるはずだ。アメリカを見てみるんだ! 私には時間がない。待っている」と言われ、今がチャンスだと一大決心をするのです。
1985年4月1日に本間を退社。そしてアメリカに渡りました。
まず足を運んだのは、ジョージア州オーガスタナショナルゴルフクラブ。憧れのマスターズの会場へ向かったのです。
サラゼンは「よく来たね」と温かく迎えてくれました。「君がこれから何を見るかが大事だ。一日一日を大切にしろよ」と。この言葉はとても心に染み、嬉しかった。それからは全米オープン、全英オープン、全米プロと無我夢中で足を運び、トッププロたちはどんなクラブを使用しているのか、どんなスイングをしているのかを見るのはもちろん、各ゴルフメーカーやメディアを回り、いろいろな勉強をしました。
ちょうどその頃、運命的な出会いをしました。ブリヂストンスポーツの当時の社長であった山中幸博氏です。
この年の全英オープンで山中氏に初めて出会い、そして翌週にとあるホテルのロビーで再会しました。ゴルフクラブについて話をし、意気投合し「二人で理想のドライバーを造ろう」と山中氏から申し込まれたのですが、当時の私はまだ勉強中の身、クラブをどう造るか、何を目的としてクラブを造るかを決めていなかったために、「将来、これは! と思えるドライバーができるまで、待ってください」とだけしか返事をすることができなかった。これに対して山中さんは「いいですよ。待っていましょう」と答えてくれたのです。その後、1987年に正式にブリヂストンスポーツ社と提携し、現在に至るというわけです。まだ、旅を始めたばかりだったと思いますが、ミシシッピ州に立ち寄った際、パーシモンを手に入れ、それから旅の間お守りのように持ち歩くようになりました。
旅の最中、夜になるとモーテルの部屋で暇があればそのパーシモンを削った。様々な出会いがあるたびに、ヘッドを削る。いわゆる日記のようなものでした。
遊び半分で始めたのですが、ヘッドの形が出来上がってくるに従って、本物のドライバーとして完成させたいと思うようになりました。
そして日本に帰った1986年の春、このパーシモンヘッドを原形に第1号のドライバーを製作しました。それからいくつかのドライバーを経て、現在の私の仕事に結び付いているのです。このアメリカ時代に日記のように削っていたパーシモンヘッドは、私が造るドライバーすべての原形そのものなのです。

のちに本格的なゴルフクラブ作りをスタート。ヘッドを削り、シャフトとのバランスを考えて…と一本一本に愛情を込めて造る。だがそれを誰が使うのか、そう考えた瞬間からそのクラブは私のものではないのです。最初の頃ははっきり言って複雑な心境でした。
しかし、一人のためにこの世に一本しかないゴルフクラブを作るというカスタムメイドにおいては、使い手が満足するものを提供することが第一です。私はゴルフクラブはその人のゴルフを写し出す鏡だと思います。だから、その人のすべてを知ってからクラブを造ろうと考え直すようになりました。これにはもちろん、時間と費用がかかります。この人にはどのようなクラブを造ったらよいのか、それにこの先そのプレーヤーが求めるであろうものを確実に織り込んで造り上げたいと考えた時、メタルヘッド時代が訪れたのです。しかし、メタルでは私が理想とするヘッドの大きさを実現することができなかった。
よりプレーヤーが満足するものを造りたい、でもパーシモンでもメタルでもない何か他の素材はないか…と思っていた矢先、そう、チタンが登場したのです。
そして私の理想であるクラブ、ブリヂストンスポーツの「アクセス」が誕生したというわけです。一言で言って、そのプレーヤーにとって最も自然な動きのスイングをすれば、ボールが飛ぶ! そんなクラブを誕生させることができたのではないかと自負しています。
最後に、ゴルフクラブは主役ではありません。主役はプレーヤーです。役目は、そのプレーヤーを複雑なスイングから早く解放してあげること。できるだけ長くプレーをさせてあげられるように、クラブ造りという手段で手助けをしているのです。
ゴルフをプレーすることで、スイングすることで、自然の中で一ホール一ホールを征服していく。芝、風、自分の経験、そしてピンの位置など様々な条件をどう征服していくか、これがゴルフの醍醐味でもあると思います。
プレーする人をいかに満足させてあげられるか、どうやったら素晴らしいものにできるか、どうやったら伝えられるのか。
ぜひ、一緒に素晴らしいゴルフを未来へ伝えていきましょう。
本日はありがとうございました。