アマチュア優勝に続きプロデビュー戦でも優勝 プロゴルファー今昔物語〜倉本昌弘編【1】

今からざっと40年前のことである。ツアーやゴルフ場の取材などで、年間4、5回は広島を訪れていた。行くたびに、繁華街にある「四斗平」という日本料理店で夜のスタートを切っていた。

兄弟で店を経営していて、店主である弟はゴルフの名手でもあった。兄の息子が倉本昌弘であり、弟の息子が、同じくプロゴルファーの“レックス”こと倉本泰信だった。

あるとき、店を訪れると、当時、日大ゴルフ部のキャプテンだった昌弘が大勢の仲間と食事にきていた。高校時代に日本ジュニアで優勝。日大入学後も1年生から日本学生を連覇し続けていた昌弘は、すっかり有名人になっていて、私もその頃に知り合いになった。

1980年には中四国オープンで、アマチュアでありながらプロを抑えてツアー優勝という快挙を成し遂げた。取材していた私はアマチュアとは思えない完成されたゴルフに驚かされた。しかし、この年、受験したプロテストは1打及ばず、まさかの不合格。翌年、しっかりと合格を果たしてプロ入りした。

注目のプロ初戦。倉本は後援競技の和歌山オープンに出場し、難なく優勝を飾った。私はアマチュア優勝に続いてプロデビュー戦でも優勝を目の当たりにし、この若者の未来に底知れない可能性を感じた。

この年はツアーでも日本国土計画サマーズ、中国オープン、全日空札幌オープン、東海クラシックで勝ち、ルーキーながら賞金ランキング2位になった。

翌年には日本プロ選手権で勝ち、メジャータイトルを獲得。さらに前衛オープンでも日本人歴代最高の4位に入り、「マッシー・クラモト」の名は世界中に知れ渡った。

倉本が育った広島はゴルフがとても盛んな土地で、ご存じの通り、岡本綾子も広島県秋津町(現東広島市)の出身である。そして奇遇なことに、倉本夫人のマーガレット・京子さんは、かつて岡本が米ツアーで戦っていた頃のマネージャーだった。

WHO‘S WHO
倉本 昌弘(くらもと・まさひろ)
1955年9月9日、広島県出身。10歳からゴルフを始め、中学3年時に広島GCのクラブチャンピオンに。日大時代は日本学生を4連覇。80年の中四国オープンでアマチュア優勝。翌年プロ入りし、ツアー通算30勝をマーク。14年2月に日本プロゴルフ協会会長に就任。同年選手としてもシニアで2勝を挙げ、4年ぶり2度目の賞金王に。164センチ66キロ。

【2015年10月14日にデイリースポーツに掲載された記事を引用】