コロナ禍の中,ゴルフトライアスロン大会を開催して

2021 伊豆ハイツ・ゴルフトライアスロン選手権

11月13日、3日間続いた強風がその日だけ何故かぴたりと止み、大会の会場となる伊豆ハイツゴルフ倶楽部ではこれ以上ないと思われるような最高のコンディションで第2回目となるゴルフトライアスロンの大会を開催することが出来たのです。これはゴルフの神様がここに至るまでの我々の必死の努力に対してのご褒美のように感じたのです。

大会開催への一筋の光

ここまでの道のりは決して順調とは言えるものではなく、新競技を立ち上げた弱小競技団体としてはさまざまな葛藤、試練、そしてさらに新型コロナウィルス感染症のパンデミックの嵐は目的地に向かって出港したての小舟を翻弄し続けていたからです。

昨年は予定していた4つの大会は全て中止を余儀なくされ、今年はデルタ株の予想を超える感染拡大が勢いを増し、東京オリンピック・パラリンピックの開催も難しい状況でした。そのような社会情勢の中、小さな大会といえども開催することもままならず、仮に開催を決断しても、選手が参加を躊躇したり、出たくても参加できない状況だったからです。

せっかく3年前に立ち上げ、少しづつ認知されかけてきたゴルフトライアスロンという新競技も風前の灯、正に存続の危機に直面していたのです。

しかし、その様な中でも開催を熱望する選手の声が少しづつですが聞こえてきたのは心の支えでした。

今年も大会の開催を諦めかけていた時、伊豆ハイツゴルフ倶楽部の支配人から突然連絡が入ったのです。

ゴルフ場のオーナーサイドからゴルフトライアスロンという競技に非常に高い興味があるので一度説明に来ていただけないか、というもので、それは今年の6月のことでした。

ゴルフ場の理解

ゴルフ場のキャプテン(オーナー代理)はスイス人のマティアス・スッターさんという人でシャングリラホテル東京の社長を務めている人です。彼はトライアスロンの選手であり、ジュニア時代はスイス代表のゴルフの選手でもあった人です。

彼はゴルフ場の周辺道路をトライアスロンの練習として自転車で走り、ランニングはコース内のカート道などを走りながら、ゴルフをベースとしたアイアンマンレースをこのコースで開催できないかを模索しているというのです。すでに企画書もできていて地元の伊豆市役所にも説明していたのです。

企画書に記載されている大会名は<伊豆ハイツ・ゴルフトライアスロン/アイアンマン>というもので開催は2021年10月予定となっていました。

彼のアイデアは、最初にバイク(自転車)で修善寺駅前をスタートし伊豆ハイツゴルフ倶楽部まで15.5kmのヒルクライムレース(標高差535m)、そしてゴルフ場の敷地内を5kmのラン、ショートブレイクの後、18ホールのゴルフ(ショットガンスタート)というもので勝敗はポイント制を取るというものでした。バイクは1秒2ポイント、ランは1秒1ポイント、ゴルフは1ストローク20ポイントというもので、このアイデアは初期のゴルフトライアスロンのものとほとんど同じものであり、世の中に、そして日本に同じような考えを持っている人がいることに驚きと嬉しさを感じました。

しかし、彼も同じ問題に直面していたのです。それはバイクレースを公道で行う難しさでした。警察や自治体の許可を得るための壁が高く、アイデアを実現できないジレンマに陥っていたのです。私の場合はその壁の高さに途方に暮れている中で、苦肉の策として、ゴルフ場のカート道をバイクで走ることはどうなんだろう、それなら実際にバイクで走ってみよう、というところに行き着いたのでした。

走って分かったことはこんなに楽しく走れるバイク道路があるなんて、という驚きと発見の衝撃でした。細かなギアシフトを要求される適度なアップダウン、そしてハンドル操作、日常の道路では味わえない面白さがゴルフ場の中に密かに存在していたのです。

プロのバイクレーサーにも試走をしてもらい、競技として相応しいバイクはマウンテンバイクが最適という結論に達した話をして、やるなら公道ではなくカート道を走りませんか、と同意を求めたのです。

今までゴルフトライアスロンの大会開催をゴルフ場に説明に行っても、誰もやったことがないためになかなか理解が得られず、何とか理解を得た様に思えても総論賛成、各論になると反対意見が強くなり実現できない状況が長く続いたのです。

ゴルフ場の人が選手の視点に立つことで、大会を開催するにはどうしたら良いのか、という方法論を議論するテーブルの上に載せることができ開催実現へと大きく前進することが出来たのです。一筋の光が見えた瞬間です。

ゴルフトライアスロンの大会を開催することはゴルフ場の協力をどれだけ得られるかが最大のポイントですが、それは大会の開催だけでなく通常営業の中でもゴルフ場内でランやバイクの走行ができる環境を整えてくれるかが大きなポイントだからです。

ゴルフトライアスロンを目指す人がゴルフ場に自転車を持ち込んで、夕方一般ゴルファーがホールアウトした後に思いっきりバイクを走らせたり、ランの練習もできるとなると選手が必然的にそこに集まってきて自主的に月例会や練習会などを開催する様になるからです。これも普及のためには必要なことなのです。ゴルフ場はゴルフをするだけの場所から、多目的な活動の場とすることでビジネス的にもゴルフ場の可能性を広げるからです。

大会を伊豆ハイツゴルフ倶楽部で開催するという前提のもと、まずゴルフコースの視察をし、その後にランとバイクのコースを設定することになったのです。ゴルフコースは著名なゴルフ場設計家の加藤俊輔氏が手がけた戦略性に富んだもので、ゴルフのレベルに関係なく楽しめるコースなので何の問題もないものでした。試したかったのはバイクコースとしてはどうなんだろう、というものでした。

ゴルフをプレイした後、マットさんとOUTコース、INコースをマウンテンバイクで試走しました。正直、今まで試走したゴルフ場に中では一番ハードなものでおそらく36ホールの採用は難しく、その後のランでも18ホールの設定では多くの人が走りきれない、という直感が頭をよぎったのです。

ゴルフトライアスロン協会として決めていたレギュレーションは鉄人の部ではゴルフは18H、バイクは36H、ランは18Hとなっていたのですが、マットさんとの協議の末バイクは27H、ランはINコースの半分(2km)を2周するコースの提案を受け、それで行うことにしたのです。

実は協会内では「決めたものを大会によって変えることは大会そのものの意義が問われる」と議論になったのです。

それと並行して、バイクコースには一抹の不安が頭から離れませんでした。マウンテンバイクに乗り慣れている人からすれば変化に富んでいてとても面白い、魅力的なコースですが、参加者の多くはマウンテンバイクの経験がない人が多く、下りの急カーブや長い登り坂そして時々ある走路の轍など初めて経験するようなコースでは事故や怪我をする人が少なからず出るのではないかという心配でした。

それはレンタルバイクを希望する人の数からも容易に想像できたからです。

その数は参加者全体の60%を占めるもので、日頃からマウンテンバイクを乗っていない人がそれだけいることを意味するからです。

最大の課題、レンタルバイク

コースの難しさもそうですがレンタルバイクも大きな課題でした。トライアスロンの選手達からはロードバイクでの参加を認めて欲しい、という要望は以前から強く受けていましたが、それはコースを見ていない、試走していないから無理のないところです。

ここはトライアスロンのエキスパートにコースを試走してもらった結果で判断しようとなり、何人かの人に走ってもらいました。その結果、このコースではマウンテンバイクが最適でドロップハンドルタイプのバイクは不適とのアドバイスを受けてマウンテンバイク限定とした経緯があったのです。

この競技はマウンテンバイクの普及ということも目的の一つでしたが、それが逆に高いハードルとなっていたのです。競技に参加してもらうには自前のマウンテンバイクを持参する、もしくは仲間やバイクショップから借りてエントリーして欲しいのですが、初めて大会に参加する人も多く、協会が用意したレンタルバイクを借りることができるなら最初はレンタルバイクでトライして、競技が面白ければ購入して次に備えようという方がほとんどだからです。競技そのものの普及にもレンタルバイクを協会が常に用意する必要があり、それが一番の課題となっていたのです。

どのくらいを用意するのか、どうやってそれを手当てし会場まで運ぶのかです。

当初、修善寺のサイクルスポーツセンターが保有するレンタル用マウンテンバイクを借りることを考えていたのですが、サイクルスポーツセンターがオリンピック・パラリンピックの会場になることで通常の施設が閉鎖され、しかも開催そのものが1年遅れたことからレンタルが全く不可能な状況であることを知らされ、予定が大きく狂ったのです。

そのため協会が保有しているバイクを全て伊豆に集結して対処する必要に迫られたのです。どのくらいの費用がかかるのかも不安材料でした。

トラックをチャーターして岡山、三重からバイクとバイクラックを運んでもらい、さらにバイクのメンテナンスをするために整備する人を確保しなければならなかったのです。

この様なことは大会を開催するごとについて回るとなると、常に大きな出費とバイクの数の確保が必要であり、早急に解決しなければならない重要な課題なのです。参加したいけど自前の自転車がない、これが一番辛いところなのです。

コロナの影響の大きさ、深さ

さらに、コロナの影響が自転車業界にも大きく影を落としていました。海外にあるパーツメーカーがロックダウンなどで生産ができなかったり、生産ができても出荷ができず、供給が予定の半分以下という状況なのです。

バイクを注文しても入手できるのは500日待ちという状態を引き起こしていたのです。参加者が購入したくてもそれができない状況で、自転車メーカーが用意できる試走用バイクも用意できないのです。これも大誤算でした。

コロナの影響はさまざまなところに出ていました。企画段階から提案をし続けていても大会をサポートしてくれるスポンサーが見つからず、しかも募集を開始し始めても参加者数も伸びず、予定していた半分くらいしか集まっていなかったのです。

当初計画していた運営予算は大きく見直しを余儀なくされ、運営会社を使う予算がなくなったのです。活動できる協会スタッフは4名であとはゴルフ場のスタッフと、ごく限られた人数での運営を覚悟したのです。

協会のスタッフは皆、自分の仕事があり、自身の休日はもちろん、通常の業務時間までもやりくりして活動時間を作り出し開催の準備に奔走したのです。

ジョブリストの作成から始まり、競技規則や概要の作成、コースの設定、オンラインミーティングの資料作り、参加者への案内メールの配信、準備物の手配そして、コースに表示する表示版の作成です。表示版の設置はゴルファーがホールアウトしてからの作業となるために限られた時間を有効に使いながら設置していくのですが1日では終わることが出来ず、何回もゴルフ場に通って行ったのです。まさに準備は時間との勝負なので睡眠時間を削りながらもハードワークが続き、11月に入ってからの最終準備はさらに厳しさを加えていたのです。

サポート企業、現れる

そのような八方塞がりの中、サポートしてくれる企業が出てきたことは明かりが見えてきた感じでした。私が関係するロックフィールドゴルフリゾートを始め、テーラーメイドゴルフ、アディダスそしてジャガー・ランドローバージャパンとキャリーパークという企業が活動に支援してくれることになったのです。伊豆市も後援に手をあげていただき、必要な情報や活動を後押ししてくれたのです。

開催を決めた当初の取り決めでは、コロナの感染拡大が勢いを加速している状況から9月末の時点で参加の申し込みが60名以下であれば11月の大会開催は取りやめ、翌年の3月26日に延期することにしていました。

11月はゴルフ場としてもベストシーズンであり、特に週末はキャンセル待ちが出るくらいの入場者があるのに、予定している参加人数に達しなければ、ゴルフ場の売上は半減することになり、経営的にも大きな損失が生じるのです。また、運営費についても60名の参加費では大きな赤字を余儀なくされる恐れがあり開催自体が難しい局面に立たされていたのです。

ゴルフ場には1週間の猶予期間をもらい最終決断を10月7日としたのです。

このままで開催を決行することはゴルフ場も協会も赤字になることは目に見えていました。協会内部からも「無理してまで開催することはどうなのか、リスクが大きすぎる、一度仕切り直して、来年しっかりと準備して開催した方が良い」という考えも日増しに強くなっていったのです。正論です。

しかし、大会開催に対する選手の書き込みや聞こえてくる声は「コロナ禍で開催を取りやめる大会が多い中、ゴルフトライアスロンは開催を決めてくれた。ありがたい」という感謝の言葉も多く見られる様になり「ここで止めるわけにはいかない、延期することは簡単だが、延期することで60数名の参加者の期待を、そしてこの様な中でもサポートしようと言って支援してくれるスポンサー企業の方達にも失望を与えてしまう。戻ってくる人は大きく減るだろう、スポンサーもいなくなる。それだけは絶対に避けなければ、次はない」と腹を括り、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で開催することを決断したのです。そして関係者にその想いを話しました。

覚悟が決まると開催に向けて残された時間を一直線に進むだけで、関係者の気持ちも一つになって開催の日を迎えるところまできたのです。

大会前日は雨と強風で引きちぎられた表示版の修理、再設営、トランジッションエリアの設営、バイクラックの組み立て、レンタルバイクの配車準備、スタート/ゴールゲイトの設置準備、ボランティアとして参加してくれる方も加わって早朝から夜遅くまでやるべきことを手分けしてこなしていったのです。

そして、冒頭の言葉となるのです。これ以上はない最高の天候のもと…

2021伊豆ハイツ・ゴルフトライアスロン選手権大会は静かに幕を開けました。5時の開門、受付開始、そして6時30分から大会の宣言を行い、その後選手はスターティングホールに移動を開始。7時の一斉合図とともにゴルフ競技の開始で始まったのです。

参加者の経歴を見るとプロゴルファー、スピードゴルフの絶対王者と新王者、トライアスロンのエキスパートやマウンテンバイクのジュニアオリンピック選手権出場者などトップレベルの選手がエントリーしていて誰が優勝するのかわからない、高いレベルの戦いが予想されました。

前回の三重大会とは競技順番を大きく変更し、第1種目をゴルフにそしてそのスコア順に1ストローク15秒の差を持ってバイクをスタート、そのままの流れでランに入るというものです。

この様にすることで最初にフィニッシュゲートに飛び込んできた人が優勝者で順位もゴールした順であることから、選手は自分の位置が明確にわかるので好評でした。

ゴルフは太田仁選手が69というスコアでトップ、2位は原大輔選手の71、3位は松井丈選手の72、トップ3の平均スコアが-2というハイレベル。トップ10の平均スコアも80.5というものは想定していたよりも遥かに高いスコアで、スピードゴルフのトップレベルの選手がかなり参加していたことがこのようなロースコアが記録された要因でした。

ゴルフトライアスロンの面白いところはゴルフでアドバンテージを持った選手が逃げ切れるのか、バイクやランで追い抜かれるのか、という選手にとっても自分の位置を確認しながらコマを進めることができるもので競技の連続性につながり、この緊張感は選手をエキサイトさせるものだからです。

バイク競技はゴルフのスコア順に1ストローク15秒の差を持って順番にスタート。太田選手の30秒後に原選手が、45秒後には松井選手がそれぞれスタートを切って行き、その後15秒おきに選手がスタートしていったのです。

バイクコースはINコースから始まりINの9ホールを走ったあとはOUTコースを2周するもので、INは15番ホール終了までは下り、16番から18番のティイングエリアまでが長い登りで最後の登りは鬼坂と名前が付けられたほどの急斜面です。OUTコースは1番から2番ホールまでの長い登りのあと4番ホール終了までは登りが続き、足を休めるところがないのです。そして9番ホールの急激で細かなカーブが連続する下り坂をすぎるとフィニッシュ。INの登りで足を使い過ぎとOUTの登りではそのキツさがスピードに影響を与え、最後のランでは足が攣り、思うように走れなくなるくらいのコースセッティングです。それだけにレースマネージメントが求められるところなのです。練習に来ているかどうかでもこの差は大きく出たと思います。

ゴルフで86と出遅れた14歳の石川太郎選手がマウンテンバイクのスペシャリストとしての実力を発揮したのです。トップの太田選手とのスコアの差は17ストローク、4分15秒も差を付けられてのスタートです。猛然と難コースを走り抜けフィニッシュ時点ではわずか38秒差。14人も一気に抜き去り2位と順位を上げ太田選手に迫ってきたのです。

スピードゴルフの新チャンピオン新本選手もゴルフで出遅れたぶん、必死の追い上げをしたのですが、首位を逃げる太田選手は新本選手を上回るタイムでトップを堅持。相当バイクの練習を積んだと思われる走りぶりでした。

コースキャプテンのマットさんは石川選手に続き2位のタイムで飛び込んで来るなど、バイクが得意な選手がゴルフの上位選手と入れ替わって上位に入ってきたことは、トップ以外がコース上で抜きつ抜かれつの争いになっていたことがわかるものでした。

ラン部門はバイク終了後速やかにランに入るのですが、38秒のタイム差を持って太田選手がトップを堅持しながらスタートしていったのです。最終的にトップ4の選手はラン部門でも1〜4位を占めていました。しかもランのタイム差は1〜3位まではわずか3秒差、トップレベルの選手たちはこのアップダウンのきついコースを1kmあたり4分30秒前後で走り切っているのです。バイクであれだけ足を使っているのにです。

石川選手はラン部門でも1位でありゴルフのスコアをもう少し伸ばすことが出来ていれば優勝の可能性も非常に高いことが証明されました。まだ14歳という年齢を考えれば、この先順調に成長していけばゴルフトライアスロンの未来のチャンピオンになることは容易に想像ができるだけでなく、その時代が長く続く可能性すらあり、多くの選手が彼に挑戦してくるような時代がそこまできているように見えるのです。

「ゴルファーをアスリートに」「アスリートをゴルファーに」という大会のスローガンが現実のものになってきた実感は大会関係者としては嬉しい次第です。

今大会を振り返ってみると2年近くのブランクがあり、まだ2回目という開催の中でもスピードゴルフのトップレベルの選手が参加してくれている点が全体のレベルを底上げしてくれていることと、新しい競技に自分を挑戦する、という方達がこの大会を支えていることがよく見えた大会でした。

参加者の年齢も40代、50代が中心ですが60代も4人、70代も2人という数字は30代の6名という数字と同じであり、今後の大会の広がりを考えた時にとても参考になる興味深いものです。

そして女性の参加者も7名と全体の参加者の10%以上もあることも次への明るい課題となるものです。

感動した出来事

私が今大会で最も感動したのは58歳で普段はゴルフ以外トレーニングはしていない男性がゴルフトライアスロン初挑戦をして完走したことでした。得意のゴルフは9位でバイクのスタートを切っていったのですがバイクもランもトップクラスの人たちの倍の時間を要し、両種目とも最下位の成績でした。他の選手たちがフィニッシュしていく中、それを横目で見ながら最後のランの周回に入っていく時です。「まだ走り続けても良いですか」と聞いてこられ「問題ありません」と答えると足を引き摺りながら最終周回に入っていって完走したのです。「アスリートの魂を持ったゴルファー」として強く印象に残りました。仕事に追われ名古屋から駆けつけてくれたのですが伊豆市に到着したのは夜中、そのような中でも参加して完走してくれたことが嬉しかったのです。

大会参加者は明らかに2つのタイプに分かれていることが明白です。競技として勝負に挑むタイプ、自分の可能性を求めて挑戦するタイプです。

これからはカテゴリーを明確にして多くの方々が楽しめる、面白い大会を目指して進んでいこうと思います。

そのためにはやるべきことが山積していますが、一つひとつを解決しながら前進することにします。

「アスリートのスピリットを持ったゴルファー」の大会を目指してです。

コロナ禍の中で大会を開催する意義、そして大変な想いをしながらも開催できたことは良い経験となりました。これからはどのような状況下でも開催が可能であれば、それに適した形での運営方法を模索し実行することがゴルフトライアスロンの普及には必要だと学びました。

最後に優勝した太田選手の言葉で締め括ります。

「この勝ちはバイク未経験な自分に練習用自転車を貸してくれた同僚や乗り方を教えてくれたメンバー、そしてライバルでありながらアドバイスをくれた先輩方がいてくれたおかげです。また、ゴルフでもトレーニングでもランニングでも凡人にすぎない自分が3つ合わせることで、ここまでいける、そういう競技を作ってくれた協会の皆様に改めて心から感謝をいたします。来年、またあの坂を登る、想像するだけでも恐ろしいですが来年もチャレンジできたらいいなと思っています」

運営に携わった人たちの努力が報われた言葉です。

伊豆市長が挨拶をしてくれた表彰式が終わり、選手が会場を去った後の片付け作業もスムースにできたのは大会が無事に終わった安堵感、達成感からくるもので、爽やかな風が心の中を吹き抜けていった感じでした。

感謝

 

何の報酬も見返りもない中で、この大会を最初から最後まで強い使命感と情熱を持って行動してくれた協会の仲間たち、素晴らしい場所を提供してくれたゴルフ場のキャプテンとスタッフの方々、陰で支えてくれた伊豆市役所、運営費用の提供や物品や人材などをサポートいただいた企業の皆様、そして大会の主役である選手の皆様の熱戦のおかげで第2回目となる大会を開催でき無事終了できたことに対し、心から感謝致します。

ありがとうございました。

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ABOUTこの記事をかいた人

1949年12月23日生れ  神奈川県出身
東海大学工学部航空宇宙学科卒、在学中は体育会ゴルフ部副将および関東学生ゴルフ連盟の連盟委員を兼務。パイロット志望から一転してゴルフ用品販売業務に携わる。ゴルフ工房を主宰しながら1988年からフリーランスゴルフライターとしても活動。国内外合わせて25のゴルフクラブメーカを取材し、記事として各誌に掲載する。「良いゴルフクラブとは何か」をテーマに取材活動を続ける。1989年米国キャロウェイゴルフの取材と掲載記事をきっかけに親交を深める。
その後1994年キャロウェイゴルフからのオファーを受け日本人初の正社員として契約。日本法人では広報担当責任者として6年間担当し、その後2014年までCorporate Relationsの担当責任者として勤務。主に対外的な渉外活動を行う。2015年からフリーとなる。
「日本のゴルフを面白くする」が新たな活動テーマ
キャロウェイゴルフ在職中はゴルフの普及や活性化のために幅広く活動。
◎ゴルフ市場活性化委員会広報責任者
◎一般社団法人日本ゴルフ用品協会 活性化委員、ジュニア委員
◎NPO日本障害者ゴルフ協会理事
◎北海道ゴルフ観光協会顧問
主な活動・著書
*著書:クラブが分かれば上手くなる!(スキージャーナル社)  
*取材編集:ゴルフの楽しみ方(講談社)