全米女子オープン最終日、朝起きてすぐにネット情報を見たら、日本選手のプレーオフになっている。笹生優花と畑岡奈紗。どっちが勝っても、日本選手初優勝なのだが、地上波テレビ中継がなく、やきもきした。次に見たのは笹生優勝という速報ニュースだった。
この2人の組み合わせ、見たことがある。
2016年のIMG世界ジュニアゴルフ選手権。国際ジュニアゴルフ育成協会(IJGA)の仕事で、2011年から取材しているが、女子15-17歳の部(現15-18歳)で、畑岡が前年に続いて優勝、日本選手として初めて2連覇を達成した。その時、最終ラウンド最終組で優勝を争ったのが、笹生だった。
笹生はフィリピンと日本の国籍を持っている。そうした経緯は今回の優勝でさまざまなメディアが取り上げているので割愛する。
日本代表選手団の取材で帯同していたので、目も耳も畑岡に向いていた。世界数十カ国の選手が集まる大会。選手選考は各国の自由で、まだ個人参加の国も多い。日本はIJGAが派遣の権利を持っているので、日本予選を行って日本代表選手団の形をとる。日本人でも、米国カリフォルニア州予選を通過して参加すると「カリフォルニア州代表」となる。
笹生はフィリピン選手団に所属していたので、成績表も「YUKA SASO(PHILIPPINES)」と表記されていた。「JAPAN」を手掛かりに成績表から40人ほどの日本代表を拾い出すだけで精いっぱい。日本代表選手以外に日本人選手が参加していても気づかないことの方が多い。
5年後の「この日」を予想出来たら、気づくべきだったと後悔している。
世界舞台で日本選手2人負けた経験
試合は第3ラウンドを終えて、笹生が6アンダーで首位、4打差2位で畑岡だった。前半で笹生は6番までにダブルボギー2つなど6つスコアを落として、畑岡が逆転。通算2アンダーで笹生を破った。
例年このカテゴリーはトーリーパインズGCノースコースで行われているのだが、コース全面改造で、この年はラ・コスタ・リゾート・レジェンズCで行われた。笹生は飛距離が出る選手、というだけの印象だった。日本選手の中ではこの世代で群を抜く飛距離だった畑岡をしのぐ時もあった。コースが狭く、距離も短い。笹生のショットは最終ラウンドでかなり荒れた。まだ粗削りだった。
翌2017年、畑岡は世界ジュニアから「卒業」したが、笹生は再びフィリピン代表として出場した。トーリーパインズに戻り、広々とした中で飛距離をアドバンテージにした笹生は、第3ラウンド11アンダーで首位に立った。3打差2位で大林奈央がつけ、最終ラウンド最終組でまたも「日本人対決」になった。
飛距離では大林らを圧倒し、前半首位を守って折り返したが、大林が1打差に迫った。取材メモによると、笹生は10番パー5で右ラフに打ち込み、第2打でグリーン右のバンカーまで運んだが、第3打でグリーンに乗せただけで3パットしている。大林は60ヤードほどの第3打を寄せ、バーディ―を奪って逆転。そこから笹生は崩れて2位、大林が「日本選手3連覇」を果たした。
東京オリンピックの金メダル争いは
日本代表選手が「SASO」という飛ばし屋を2度破った、というシーンしか、記憶になかった。筆者の中で「SASO」が「笹生」になったのは、初優勝した昨年8月のNEC軽井沢72トーナメント。コロナ禍もあって取材に行く機会もなくテレビで見ていて、どこかで見た聞いた顔と名前だと思った。情けない話ではあるが…それまでSASOと笹生が結びついていなかった。世界ジュニアで見たときより、テレビ越しではあるが、かなり体が大きくなっていたのにはびっくりした。
ジュニアにとっては全米女子オープンに匹敵するであろう、世界ジュニアで敗れた畑岡とのプレーオフを制した。たぶんメンタルも強くなったのだろう。5年前と違って、全米女子オープン最終ラウンドで2つのダブルボギーをたたきながら、あきらめなかった。2人が当時のことを覚えているか、機会があったら聞いてみたい。笹生にはあの時の負けが生きたのだろうか。
樋口久子、岡本綾子、小林浩美、福嶋晃子、宮里藍…多くの先輩たちが届かなかった、女子では最高峰のタイトルを、史上最年少の19歳351日で制した。
目前に迫った東京オリンピック、笹生はフィリピン代表として出場する予定という。テニスの大坂なおみもそうだったが、グローバルな世の中になって、増えていくであろう二重国籍問題も今後の課題だろう。畑岡との金メダル争いになれば面白い。ただ、畑岡とともに「日本代表」での金メダル争いを見たかった、と思うのは筆者だけだろうか。
※写真はすべて国際ジュニアゴルフ育成協会(IJGA)提供
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