菅野徳雄の「日本のゴルフを斬る」
JGTOは「PGAツアー・オブ・ジャパン」と改称して再起を
(日刊ゲンダイ 平成28年1月7日掲載)
日本の男子ツアーが日本プロゴルフ協会(PGA)から分離独立し、日本ゴルフツアー機構(JGTO)に生まれ変わって17年になる。
PGA時代はプロになるには厳しいテストがあって、合格した後はプロとしてのあり方を教わる研修期間もあった。かつてはゴルフ場に所属するプロが多く、メンバーや先輩プロの目も厳しく、日常の中で人間教育が行われていた。
それがJGTOになると、大学で活躍してクォリファイングトーナメント(QT)を通ればすぐ試合に出られるようになった。スコアさえよけれがプロとしてやっていけるようになった。それによって、人間教育が置き去りにされてしまった。
ゴルフ場以外の一般企業と契約したり、フリーの選手も増えていった。学生時代、強かった選手は初めからスター気取りで、プロになってからもあまりうるさいことを言う人はいなくなってしまった。
男子プロは、試合前のプロアマ競技でもゲストとはろくに話もしないで、自分のプレーに夢中になっているという話をよく耳にする。「プロアマの日は自分のゴルフを忘れてゲストに尽くさなければならない」ということを、ちゃんと教育してこなかったJGTOにも大きな責任がある。
JGTOがスタートした当時のことを振り返ってみると、97年、PGA内部で「PGAツアー・オブ・ジャパン」が結成され、PGAの理事会から独立してツアー部門を運営しょうという動きがあった。しかしこれがうまくいかなかったためにツアー部門がPGAから出ていかざるを得なくなったのである。
そして、PGAのロゴマークを使って「PGAツアー・オブ・ジャパン」という名前でスタートしたかったのだが、「勝手に出ていってとんでもない」とプロゴルフ協会の猛反発をくらってJGTOという名前でスタートせざるを得なかったといういきさつがある。
実は現在隆盛を極めているアメリカのPGAツアーも68年には全米プロゴルフ協会(PGA・オブ・アメリカ)から独立し、75年に「PGAツアー」になっている。それでも、クラブプロやレッスンプロなどが所属するPGA・オブ・アメリカとツアープロが所属するPGAツアーは共に「PGA」という共通の旗の下で車の両輪のような形で助け合って発展してきている。
「組織は違っても、PGA・オブ・ジャパンと改称し、PGAのロゴマークを使わなかったらツアー部門は絶対発展しない」と、筆者はPGAとJGTOの両首脳にも訴え続け、書き続けてきた。
ツアー部門の改革を早くから唱えていた倉本昌弘日本プロゴルフ協会会長も「JGTOでは知名度が上がらない」と盛んに言っている。組織は違っても、今こそ「PGA」という共通した旗の下で協力し合っていけば、ツアー部門も必ずや蘇るはずだ。
(日刊ゲンダイ 平成28年1月7日掲載)