ジャンボは弟2人を立派に育てた点でも高評価されていい プロゴルファー今昔物語〜尾崎将司編【2】

初優勝を飾った1971年の日本プロ選手権(宮崎・フェニックスCC)で初めて尾崎将司を見た時、びっくり仰天した。飛ばし屋とは聞いていたが、ドライバーはこちらの想像以上にとんだ。当時はパーシモンウッドに糸巻きボール。250ヤードも飛べば外国人並みといわれた時代。ところがジャンボは300ヤード近く飛ばした。

1947年に生まれた尾崎は、徳島・海南広告の投手として1964年春の選抜大会を制した。卒業後は当然のごとくプロ野球の世界に進み、西鉄ライオンズの一員となった。フランチャイズは福岡である。しかし、ここで大きな壁にぶち当たる。結果が出ないまま、わずか3年で退団。野球の合間に覚えたゴルフに取りつかれた。九州を代表する“玄界の荒法師”といわれた故藤井義将プロに指示してプロ入りした。

一般に飛ばし屋というのは、よく飛ぶ、曲がったりOBがでたりするのだが、ジャンボはコントロールも抜群だった。さすが甲子園優勝投手である。

弟の建夫、直道も兄の後を追ってプロ入り。弟子たちも加わり「ジャンボ軍団」として切磋琢磨(せっさたくま)した。それまではゴルフ場単位で師弟関係が生まれ、派閥ができていた。

だからジャンボ軍団の登場は画期的であった。その後、大学のゴルフ部が多くのプロを生み出すようになり、ゴルフ界の勢力図は徐々に変化していくのだが・・・・。

どの試合だったか覚えていないが、将司と直道が優勝を争った試合があり、徳島から駆けつけた尾崎家の面々も観戦していた。親戚も大勢来ていた。彼らは「兄ちゃんはたくさん勝っているんだから弟が勝てばいい」と話していたが、その言葉通り、その試合は直道が優勝した。

3兄弟ともにゴルフの世界で成功し、うち2人は永久シード選手である。ジャンボは弟2人を立派な選手に育てた点でも大きく評価されてもいいと思う。

 

WHO‘S WHO

尾崎 将司(おざき・まさし)1947年1月24日、徳島県出身。海南高時代は投手として64年の選抜大会で全国優勝。65年に西鉄に入団したが、わずか3年で退団してゴルフ界に転身。70年にプロテストに合格し、71年の日本プロで初優勝を飾る。通算113勝。賞金王12回。2010年に世界ゴルフ殿堂入り。181センチ、90キロ。

 

【2015年9月23日にデイリースポーツに掲載された記事を引用】