「世界で活躍するんだ」という高い「こころざし」を持って、積極的に海外に出て行ってほしい 菅野 徳雄

プロ野球はいまや多くの日本選手がメジャーリーグ(MLB)で活躍している。一九九五年、村上雅則に次いで二人目のメジャーリーガーとして野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースに入団。一年目、二百三十六の三振を奪って十三勝六敗で新人王を獲得。九六年には十六勝をマーク。ノーヒットノーランを二度達成するなど、彼の成功が引き金となって、MLBに移籍する選手は年々増えている。

ゴルフ界においてもアメリカに乗り込んでいって成功した日本選手はいる。青木功。一八七八年の世界マッチプレー選手権(英国ウェントワース)でゲーリー・プレーヤーなど世界の強豪を次々に打ち破って優勝。二年後の全米オープンでは帝王、ジャック・ニクラスと最終ホールまで壮烈な優勝争いを演じる。わずかに及ばなかったが、米ツアーのライセンスを取得し、八二年には米ツアーの賞金ランキングが百二十二位となって、日本人として初のシード権を獲得する。

そして翌八三年のハワイアンオープン(現・ソニーオープン)では最終十八番パー五で、百二十八ヤードの第三打を直接放り込んで劇的な優勝。日本人として初の米PGAツアーチャンピオンとなる。

青木に続いて、野球にたとえればメジャーリーグといってよい米国PGAツアーに挑戦する日本選手がどんどん出てくるに違いないと思っていた。しかし国内で百勝以上をマークしているジャンボ尾崎でさえ海外の試合はマスターズ、全米、全英オープンといったメジャーのときだけで、積極的に世界制覇を目指そうとはしなかった。

丸山茂樹が米ツアーに本格参戦し、ミルウォーキーオープンで優勝したのは、青木のハワイアンオープンから十八年も後のことである。丸山は二〇〇二年バイロン・ネルソン・クラシック、〇三年クライスラークラシックと三年連続して米ツアーで優勝。

そして〇八年に今田竜二がAT&Tクラシックを制し、日本人として三人目の米ツアーチャンピオンとなる。ただし今田は中学二年のときに単身渡米、アメリカでゴルフを学んでプロになった選手であるから、日本人ではあるけれど、「アメリカのプロ」といったほうがよいのかもしれない。

日本はプロの数も多く、試合数も賞金も米ツアーと欧州ツアーについで多いにもかかわらず、世界で活躍する選手がなかなか出てこないのはどうしてか、ひとことで言えば欧米のツアーで戦い続ける選手が少ないからだ。米ツアーや欧州ツアーの出場資格を取得してもシード権を失うとすぐ帰ってくる選手が多いのが実情である。

国内で賞金ランキングがベストテンに入っていても欧米のツアーは環境もコースも違うので、シード権をとるのは容易ではないと思う。よくいわれるのは芝の違いである。日本のコースも今はほとんどがベントグリーンになっているけれど、フェアウエーは北海道など一部のコースを除けばたいがい高麗芝である。高麗芝は硬くてボールが浮いた状態にあるのでやさしい。だけども欧米のコースはフェアウエーも柔らかい洋芝であるため、短く刈り込んであってもボールが微妙に沈む。

特にグリーンまわりのアプローチは芝の違いによって打ち方も距離感も違ってくるので、慣れるまでが大変だといわれている。ひと口に洋芝と言ってもアメリカにはいろんな種類の芝がある。その違いは体験して体で感じとるしかない。

だから欧米のツアーでシード権を取れないからといってすぐに撤退して帰ってきたら、「腕試しに行っているだけではないか」といわれても仕方がない。向こうで自分のゴルフが通用しないと分かると、自信をなくすだけである。現にシード権を失って帰国すると国内でも本来の自分のゴルフができないでいる選手も少なくない。何のために行くのか、目的意識をはっきりさせる必要がある。

十四歳のとき渡米した今田はジョージア大学を二年で中退して一九九九年にプロ入り。PGAの下部ツアー、ネーションワイドツアーで戦いながらPGAのレギュラーツアーの出場資格を得るためクォリファイングスクール(Qスクール)を受験し続けた。〇四年にネーションワイドツアー「ミシュラン選手権」で優勝して賞金ランキング三位となり、レギュラーツアーの出場権を獲得、ようやくPGAツアーのメンバーとなる。

〇七年にはAT&Tクラシックで、この年マスターズを制したザック・ジョンソンとのプレーオフに惜しくも敗れるも、〇八年には同じ試合でプレーオフを制し、プロ入り九年目にしてようやくPGAツアーのタイトルを手にすることができたわけだが、日本から行った選手たちと違って彼には「帰るところがない」ということ。それが今日まで今田を支えてきた一番の原動力だろうと思う。

今田と違って、米ツアーでシード権を失っても日本の選手には帰るところがある。そこに日本選手の甘さがあると思われても仕方がないような気がする。

本当に米ツアーで世界的なプレーヤーになるんだ!という高い「こころざし」を持って、シード権を失ったら、今田のように下部組織のネーションワイドツアーからもう一度やり直すんだという気概が欲しい。

尾崎直道は米ツアーで優勝こそできなかったが、九シーズン、アメリカで戦い続け、シニア入りしてからもアメリカにとどまり、今はチャンピオンツアーで活躍している。これは、もっともっと高く評価されてよいし、若い日本の選手にはぜひ見習ってほしい。

昨年初めて開催された国内ツアー「レクサス選手権」のテレビ解説で、尾崎直道は片山晋呉に「来シーズンはぜひ米ツアーで戦ってほしい」と力をこめて呼びかけていた。「今行かなかったら、五十歳ごろになって、どうしてあのとき行かなかったんだろうと、きっと後悔するときが来ると思う」という尾崎の言葉を、片山はどう受け止めているのだろう。

ジャンボがそうであったように国内でいくら勝っていても強豪がひしめく欧米のツアーではなかなか通用しない。何よりもまず「世界の一流になるんだ」という高い「こころざし」を持つこと。そして積極的に出て行って、戦い続ける決意と覚悟を持たなかったら世界的な選手にはなれないと思う。