【 GOLF・スケッチブック 】記事はゴルフの諸事雑事を書いています
プライベートなプレーであれ、コンペのプレーであれ、ルールに抵触する場面が生れても、案外スルーしてしまうことをよく見かけることがある。その行為があったとして、例えばコンペやクラブ競技会で優勝したとしたならばどんな気持ちを抱くだろうか。
恐らく、周りには破顔の笑みを浮かべて、“おめでとう”という言葉に酔いしれているのに、心のなかにどこか冷めたものが漂っている、そんな気分が残るのではないだろうか。ゴルフは自分が審査員である。外からとやかく言われるものではない。しかし・・・。ゴルフというスポーツはここに人間として評価される天の声が聴こえてくる。
30年ほど前になるが、PGAツアで大活躍した選手にトム・カイトという人がいる。伝説的なインストラクター“ハービー・ペニック”に指導を受け、「全米オープン」を含めPGAツア19勝挙げた。その彼があるトーナメントで、アドレスの時に球が動いた。誰も気付かなかったが、自ら申告して優勝を逃したことがある。
トム・カイトはその行動によってフェアプレー賞を受けたが、彼は「ルールに従ったまでのことで、そのことで賞を受けるのは恥ずかしい」ことだと言った。優勝できるチャンスが大きかったのに、申告することにより“ルール尊重の精神”を選択したことに対して賞が贈られたのだろうが、本人の気持ちは複雑だったようだ。
かのボビー・ジョーンズの出来事も美談として歴史に残っている。1927年「全米オープン」で、深いラフに飛んだボールを打とうとしてアドレスに入った時、ボールが動いた。彼はそれを申告して1打罰を加えた結果、優勝を争っていた選手と同スコアになり、最初のプレーオフ(18ホール)でも決着がつかず、2度目のプレーオフの末惜敗、メジャータイトルを逃してしまった。
グランドスラムを達成したゲーリー・プレーヤーにこんな経験があったという。その昔アメリカはノース・キャロライナ州グリーンズ・ボロでトーナメントが開かれた。この大会は事情があって決勝ラウンドを1日で2ラウンドこなせねばならず、出場していた彼は前半を67のスコアで回わり、優勝に向かって絶好の位置につけていた。
この当時、1ラウンドが終わり、小さなテントの中で同じ組の選手と一緒に、スコアカードにサインをしていた。彼はこの時係員と次のラウンドまでの休憩時間の確認をしていたところ、自分の認識していた時間とズレがあって気持ちが揺らいだ。そのせいか、カードにサインすることを忘れてテントを出てしまう。しばらくしてそれに気づき、戻ってサインした。
いよいよ後半の1ラウンドに入ろうとティグラウンドに立つ頃には、自分の行為がルール違反ではなかったかということに気づき、競技委員に確かめたところ、「ゲーリー、君の直観はあたっているよ!それはルール違反で君は競技失格だね」との返事だった。その時点でアーノルド・パーマーに5打差を付けてトップだった。しかし彼は荷物をまとめて帰路についたという。(ゲーリ-・プレーヤー著「ゴルフから学んだ誇りある生き方」より)
彼はこう記している。「ルールに則って正々堂々と戦ったと自分に言えないのだとしたら、何と空虚な優勝となったことでしょう。ゴルフは、プレーヤー自身が審判となることを要請しているゲームなので、あえて自分自身にペナルティを科さざるをえない状況に遭遇します。人生でも起こりうるこのような事態にそなえる唯一の方法は、まず自分自身に誓ってしまうことです。そして躊躇(ちゅうちょ)することなく実行することです」と。
この言葉はゴルファーにとって、また人として身に染みる深いものがある。「ゴルフでは、学べば学ぶほど学ぶことが多くなる」といった人がいたが、偉大なゴルフ選手の言葉には、時代を越えて訴えかけてくる人間の真実があるように思う。
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