日本のゴルフ誕生100周年 ~文屋 源也~

今年で開場100周年を迎えた神戸ゴルフ倶楽部(高畑宗一理事長)の記念競技会が5月20日同コースで開催された。招かれたのは英国のスティーブン・ゴマソール駐日大使はじめ、R&A(英国ゴルフ協会)のキャップテン、ウイットモア夫妻、大阪英国領事館デービッド・スミス副領事ら40人。当日は六甲山に霧のかかるあいにくの天気だったが、井戸敏三兵庫県知事の始球式で行事はスタートした。

100年前に始球式をした服部一三知事はゴルフをまだ知らず「ドライバーをパターのようにボールに当てただけ」と神戸ゴルフ倶楽部史には記載されている。当時と同じヒッコリーシャフトのドライバーを手にした井戸知事はやや緊張の面もち。ダンピー(グルーム氏が愛したウイスキーの名前)と名づけられた打ち下ろし1番(170ヤード、パー3)でのショットは、良い当たりだったが球は100ヤードほど飛んだだけで転がった。
それもそのはずガッティボール(ガッタパーチャ)のためだ。このボール、英国のロンドンにあったシルバータウン社製といわれ、開場70周年を迎えた1973年、日本ダンロップがガッティボールを完全複製。今回の複製ボールにも「KGC1903 SILVERTOWN」と刻印。出場者全員にガッティボールとKOBE GOLF CLUB「100th ANNIVERSARY」と書かれた木製の台座が記念品として贈られた。

記念競技の参加者は1番ホールだけ復元したガッティボールを使用しホールアウトしなければならない。大きさこそ現在のラージボールとほぼ同じ直径44・23ミリだが、重さは43・10グラム(一般のは45グラム)と軽い。いくらナイスショットしても飛距離はせいぜい150ヤード。勝手の違う大きくて軽いボールに昔をしのび苦労していたようだ。
六甲にゴルフ場を建設したのはお茶の貿易商だった英国人のアーサー・H・グルーム氏である。神戸港が開港した約130年前頃の六甲は白い岩肌が露出し荒れ果てた山だったといわれている。”六甲村長“と呼ばれたグルーム氏は別荘を建てたものの草木の少ない周わりの環境は余りよくなかった。そこで友人たちと相談の上、緑化に力を入れると同時にゴルフ場を造ろうということになった。1901年に4ホール、2年後の1903年5月24日に9ホールの神戸ゴルフ倶楽部が正式にオープンした。アメリカにゴルフ場ができてわずか10年後の日本誕生である。
同ゴルフ場が18ホールになったのは正式開場から4年後の1907年のこと。日本アマチュア選手権はこの年から始まったが、出場者はすべて外国人、日本人の優勝は1918年、第12回大会(東京ゴルフ倶楽部)の井上信が最初である。現在の会員数は約600人。創立当初は131人の会員ほとんどが外国人だったが、今は数がずいぶん減っているそうだ。
24代目理事長の高畑宗一氏はこれからのクラブ運営について次のように話している。『自然の形を残した英国流の質素なゴルフ場として維持してゆく。カートの導入は考えていない。芝生の上を歩いてこそゴルフと思っている。とはいえメンバー、ビジターのラウンド数は少なくなった。これからの運営を考えると頭が痛い』

(文・文屋 源也)

神戸ゴルフ倶楽部の100年 – 1

1910年(明治43) 子供競技がスタート(6ホール)
1916年(大正5) 9月にグルームが70才の誕生日を迎えた。10月に横浜対神戸婦人第1回インターポート競技がスタート
1918年(大正7) グルーム逝去(亨年72才)
1925年(大正14) 西村マサ、日本人として初めて婦人競技権を制す
1930年(昭和5) 10番ホールでグラスグリーンを試作。またこの年に3、4番ホールの距離延長した
1931年(昭和6) ボーリス設計によるクラブハウス建て直しスタート。1、6、18番ホールをグラスグリーンにする
1932年(昭和7) クラブハウス完成
1933年(昭和8) 全ホール、サンドグリーンからグラスグリーンに改造完了
1945年(昭和20) 東洋汽船空襲のため倶楽部の記録焼失。4月に12、15番ホール(6,000坪)を県農業試験所に種ジャガイモ畑として貸す。5月に1、5、6番ホール(3,000坪)を海軍療品廠に朝鮮アサガオ畑として貸す。7月に11、16番ホール(3,000坪)をドイツ軍に菜園として貸す。8月に第二次世界大戦終戦
1946年(昭和21) 5月、米軍に接収される
1948年(昭和23) 米軍が、本国よりベントグラスを取り寄せ、グリーンのオーバーシードを始める
1949年(昭和24) この頃より米軍の好意により会員に限り、プレーが許可される
1952年(昭和27) 2月、米軍接収解除。春には、新聞、ラジオで旧会員に呼びかけ開場
1953年(昭和28) 開場50周年行事を開催。また、チェンバー大改造
1954年(昭和29) 12、13、14、15番ホール、ブルドーザーによる大改造
1957年(昭和32) 六甲山小学校より倶楽部への道路舗装工事が行なわれる
1958年(昭和33) 1、4、5、6番ホール、ブルドーザーによる大改造。キャディ宿舎の建築
1959年(昭和34) 男子キャディ制を廃止。女子キャディを30人入れる。また、キャディ宿舎の増築

神戸ゴルフ倶楽部の100年 – 2

1963年(昭和38) 開場60周年行事を開催
1964年(昭和39) 駐車場の拡張工事を実施
1965年(昭和40) 9月に神戸大丸にて「日本最古、神戸ゴルフ倶楽部展」を開催
1966年(昭和41) 9月、開場65周年記念として「神戸ゴルフ倶楽部史」を刊行
1967年(昭和42) クラブハウスの一部改装、ロッカー、浴室、従業員宿舎、キャディ控室などの整備。また、キャディ宿舎の増設をスタート(翌1968年に完成)
1973年(昭和48) 7月、前年72年に阪神電鉄より借り受けた隣接地を12番ホールとして造成。8月には開場70周年記念競技にJGA及び各ゴルフ連盟会長、理事を招待(参加51人)。また同月、メンバー記念競技開催(参加229人)。
1990年(平成2) 12月には「神戸ゴルフ倶楽部70年史」刊行
1991年(平成3) 従業員駐車場拡張工事(80坪)
1992年(平成4) スプリンクラーの施設工事を行う(16番、17番ホール)。また、ビジター用スチールロッカー62人分更新購入
993年(平成5) 婦人浴室、脱衣室、ロッカー室改修工事。婦人室用スチールロッカー29人分新規購入。4月に7番ティに信号を新設。15番、18番道路側防球補強フェンス工事
1994年(平成6) 90周年記念行事を行う(競技参加者228名)。「90年誌」を刊行。さらに16番道路沿防猪ネットフェンス取付工事を実施
1995年(平成7) スプリンクラーの施設工事を行う(16番・17番の2ホールズ)<18ホールズ完了>
1996年(平成8) 1番~6番防猪フェンス新設工事。9番、13番溜池石積貯水工事とともに、15番、16番防球金網改修工事を実施
4月にハウス入口周辺石垣工事。18番道路側防猪壁コンクリート工事とともに16番、18番周辺道路側防猪フェンス工事、7番溜池貯水(防水)工事を実施
1997年(平成9) 15番の浜側歩道上防球金網改修工事、18番の浜側防球金網更新、並びに15番コース内浜側防猪フェンス工事、2番・3番・5番・6番グリーン芝張替工事などが行なわれる。また、7番溜池周辺及び15番浜側フェンス前に植栽工事(サザンカ×200本・カイズカ×134本・モミノ木)も実施
1998年(平成10) コース用砂保管庫新設
2000年(平成12) 11番~チャンバー管理道路芝張地盤改良工事、1番・3番・9番ティグランド改造工事、山桜2本植栽(1番、18番)を実施
2003年(平成15) 創立100周年。記念競技会を開催