東京オリンピックのゴルフ競技が終わりました。稲見萌寧の銀メダル獲得というビッグニュースは、ゴルフというスポーツを多くの人に知ってもらう良い機会になったことは確かでしょう。また、会場となった霞ヶ関カンツリー倶楽部にとっても、競技が世界に中継されたことと、世界各国から訪れたメディアによってその名が伝えられたことで、知名度が上がったことは間違いないでしょう。
中でも評価されるべきは、グリーンの仕上がり。日本の高温多湿の状況下、グリーンが一定のクオリティを保ち続けた関係者の努力は、称賛に値します。
猛暑に強いという触れ込みがあったとはいえ、ベント芝の007(ダブルオーセブン)を選択した際には、一部の関係者の間から疑問の声が上がっていました。霞ヶ関CCのある川越市は、一説によれば日本で最も暑い場所。しかも大会の行なわれる7月下旬から8月の初旬は、年間を通して最も暑い時期。競技日程はまず男子の練習ラウンド解禁の7月24日から女子の最終日までの15日間もベストコンディションを維持することが難しいことは、関係者の多くが予想していました。
しかもグリーンを硬く速くすることが必要な男子の競技が先行することで、コースにはかなりの負荷がかかります。その後女子の試合となるメンテナンスの難しさから、一部には暑さに強いバミューダを推奨する声も根強くありました。
それでもベントで行くことが決まったことで多くの関係者が注目する中、グリーンは最後まで使用に耐えうる状態が維持されました。アグロノミスト(農学博士)のデニス・イングラム氏と共に準備を進めてきた統括グリーンキーパーの東海林護氏以下、コラボレーターと呼ばれる外部の応援も含めた110数名のスタッフの方々の、努力の賜物といえるでしょう。
今回、グリーン以外にも、猛暑に起因する多くの心配事がありました。それは大会に関係する多くの人々が直面した健康被害の問題です。当初NF(National Federation)であるJGA(日本ゴルフ協会)関係者が明言していた1日2万5千人ものギャラリーが入場した場合、暑さもあって熱中症患者が大量に出るおそれがありました。加えて、熱中症と新型コロナウイルス感染症の初期症状が似ていることもあり、地元の医療機関が大混乱に陥る危険性も叫ばれていました。
結果的に無観客となったことで、ギャラリーへの心配はなくなりました。しかし最も過酷な条件で仕事をすることになるキャディーが熱中症になる危険性はぬぐえず、組織委員会は大会の延期が決まると対策に動き出します。キャディーが倒れた場合に代役を務める「リザーブキャディー」を3人、待機させることにしたのです。
そこで声がかかったのが2019年秋に発足した一般社団法人日本プロキャディー協会。「『コロナ等で急きょ必要になることが想定されるので、英語を喋れるリザーブキャディーを3人用意してもらえないか』という依頼が来たので、紹介しました。キャディーたちはテストを受けることを指示されて、受けた結果『(英語は)問題ないね』ということで、3人がリザーブとして今回入ることが決まりました。組織委員会の方の話では『プロキャディーがいなければ地元の英会話クラブのような所に依頼するしかない』と仰っていました」(同協会の森本真祐会長)。
リザーブキャディーのうちの1人である薬丸龍一キャディーは星野陸也プロから声がかかり、初日から最終日までバッグを担ぎました。メンバーに緊張が走ったのは、男子が終わり女子の試合の開幕前日。
金メダルの有力候補と見られていた笹生優花選手のキャディーを務めるライオネル・マテチェック氏が熱中症でダウン。リザーブキャディーにもすぐに連絡が入りましたが、同じフィリピンチームのコーチが代役としてバッグを担ぐことになり、起用は見送られました。
さらに翌日の大会初日、笹生と同じ組で回る米国のレキシー・トンプソン選手のキャディーであるジャック・ファルグム氏もラウンド中に熱中症で動けなくなり、急きょキャディーを変更。こちらもチーム内のスタッフで対応することになりましたが、いつでも代役を務められるように、しばらくはフォローする形になっていたそうです。
ついに出番が来たのが女子の最終日、畑岡奈紗選手のキャディーを務めるグレッグ・ジョンストン氏が腰痛で離脱したため、前出の薬丸氏が代役を務めました。
「私としては日本のプロキャディーの優秀な所を海外の選手にアピールしたかったので、それが叶わず残念です」(森本会長)とリザーブキャディーの出番が日本選手のみにとどまったのは残念な様子。その一方で「今回の件は『プロキャディーという職業を知ってもらう良いきっかけになったのでは』と思っており、今後の活動にも良い影響を与えてくれると信じています」と今回のサポートが無駄ではないことを強調していました。
また、多い時で1日700人が動員されたフィールドキャスト(ボランティア)の方々のチームワークも評価されるべきでしょう。日本の最も暑い時期に、最も暑い場所で行われるという最悪の選択がなされたにもかかわらず、大きな混乱は避けることができました。熱中症の症状を訴えた人も数人いたとの証言もありますが、無観客開催により余剰人員が生まれ、シフトにも余裕ができて、結果的に健康被害の深刻化を食い止めた一面もあります。人員を削減するのではなく、しっかりと余裕を持ったオペレーションを行なうことの重要性を、今回の結果が物語っている気がしてなりません。
地元の商工会や宿泊施設は、観光客へのおもてなしツールなどを用意し、世界から川越市に来てくれるたくさんの人に、英語で市内のご案内をする『都市ボランティア』の準備もしていました。それを無駄にしないために、今後はどうしたらいいのでしょうか。コロナ後に戻って来る観光客に、そうしたスキルを活かしていく工夫が求められています。
出口が見えないコロナ禍の中で行われたオリンピック。「一応、テレビで放送してくれる時には、埼玉県川越市にある霞ヶ関カンツリー倶楽部って言ってくれますから、会場市として、まあその点は、よかったかなと」とつぶやいた川越市総合政策部オリンピック大会担当部長・岡部 実氏の言葉が、何とも切なく、心に残りました。
(この記事は一般社団法人日本ゴルフ用品協会の許可を得て、JGGA NEWS 2021年9月号より転載しました)
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