津波で壊滅状態の故郷のために義援金を有難うございます

rikuzentakada

今回の東日本大震災(東北太平洋沖地震・津波)によって我がふるさと・陸前高田市は壊滅的な被害を受けました。岩手県の最南端の三陸海岸。湾口の幅が5キロ近くあって、広くて奥行きの深い広田湾の奥に開けた海岸美と海の幸に恵まれた陸中海岸国立公園の南の玄関口。

リアス式海岸の中では珍しく平らなところですが、平坦であるがために、市街地だけでなく周辺の集落や漁港までも、民家はほとんど残っていません。盛岡に住んでいる幼馴染がA4に伸ばした写真を30枚ほど送ってきたのを見ると、わずかに残っているのはホテルや学校、市庁舎など鉄筋の建物だけです。

「日本百景」、「日本三大松原」、「日本の渚100百選」にも選ばれた全長2キロの、町のシンボル「高田松原」は1667年(寛永7年)、菅野杢之助によって6200本の黒松が植栽されたと伝えられています。現在は7万本ともいわれていた松林は巨大津波に呑みこまれ、根こそぎ押し流されて、跡形もないそうです。

昔から何度か津波に襲われ、1960年のチリ地震・津波のときも大きな被害を受けています。その教訓を生かし、高田松原にも、周辺の漁港などにも、6、7メートルもの見上げるような防潮堤を張り巡らせ、万全を期したはずです。しかしそれも今回はまったく役に立たなかったそうです。

市内に嫁いでいる妹の家族は無事でしたが、親戚や友人、知人の中には亡くなったり、いまだに行方の分からない人は10人を越えます。4年前、母が亡くなってから空き家になっている実家は海から離れて山あいにあるので何とか被害を免れ、家を失った人たちに住んでもらっています。

私は長い間、陸前高田市の「ふるさと大使」として、郷土の広報活動にかかわって来ました。現在、「在京陸前高田人会」が中心になって首都圏に住んでいる陸前高田市の出身者に声をかけ、郷里の復興のために、義援金を募っているところです。

仕事でお世話になっている人たち、ゴルフを通して知り合った人たち、親しくしているプロたちにも、私が田舎のためにこういうことをやっているという話をしたら、それなら「俺たちも」「私たちも」と、大勢の方から義援金をいただいております。親しくしているティーチングプロ20人ほどのグループとアマチュアの人たちで隔月の研修会を続けてきているのですが、幹事さんがみなさんに声を掛けていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。「5月になったら、チャリティーのプロアマ競技をやろう」という話も進んでおります。

本当に有難うございます。

  菅野 徳雄(日本ゴルフジャーナリスト協会顧問)