親しみを込めて“杉原輝雄さん”と呼ばせていただく。杉原さんは7年前の12月28日に74歳で亡くなられた。
プロゴルファーとして通算63勝(国内5勝、海外1勝、シニア8勝、)の記録、最高齢レギュラーツアー予選通過者、数々のメジャー優勝、文部科学省からスポーツ功労者文部科学大臣顕彰など、輝かしい記録を残したゴルフ界の偉人である。
生涯現役を貫き、がんと闘いながら人間として不屈の人生を送った人である。亡くなって7年、杉原さんの人間として奥深い精神が、ゴルフ業界に留まらず、多くの人々を引き付けてやまない。
命日に因んで、“自分の言葉”を持っていた杉原さんを振り返ってみたい。ゴルファーはもちろんのこと、一般の方々にも広く知ってもらいたい人である。
杉原さんは家庭が貧しかったため、幼いころから苦労した。キャディをしながら家計を助け、学校も義務教育しか受けられなかった。そうした環境をバネにしてプロゴルファーになる。
しかし身長が162cmで、プロとしてはかなりのハンディキャップを負うことになった。こうした背景のなかで人生に立ち向かい、自ら作り上げた人物像は、いまでもその光を失うことなく輝いている。
ある日前足しか利かない子猫を拾ってきて、家にいる犬の親子と一緒によく面倒をみていた。杉原さんの家庭ではその後かけがえのない絆が生れ、命の大切さを教えてくれる。
この子猫の物語はライター今泉耕介の手によって「前足だけの白い猫マイ」としてドキュメント童話にまとめられ発表された。杉原さんの言葉「命を大切にすること」と「感謝を持って生きる」という信念の一端が作品になったものだ。
動物愛護団体の公益財団法人日本アニマルトラストは「ハッピーハウス」という動物の孤児院を運営しているが、あるキッカケがあって杉原さんはここの理事を務めることになった。
東日本大震災の折りには、施設で200匹以上の犬猫を保護して、飼い主や新たな里親探しの活動を展開した。この時など杉原さんは、体調も良くない時期に差し掛かっていたにも関わらず、新聞や雑誌に声を掛け、多くの人に知ってもらう協力を熱心に行った。
杉原さんの心にある「生きていることの素晴らしさ」「生かされていることへの感謝の気持ち」そして「命の大切さ」「生きとし生けるものすべて、命の重さは同じである」という信念があり、生活のあらゆる行動に息づいていて、多くの人々の心に影響を与えて来た。
こうした人間の在り方の本質を生涯にわたって追及していった。まさに知行一致の人であったが、プロゴルファーとしての立ち居振る舞いも自己に厳しい姿勢を貫き通した。
日本でトップのアマチュアゴルファーが、杉原さんの練習風景を見て、これほどまで精根を詰めて練習をしなければプロゴルファーが務まらないものかと思い、その凄まじさにプロになるのを諦めてしまったというエピソードを聴いたことがある。
1つ1つのショット練習にも真剣に取り組んだ姿勢は、周りの人達に強烈な迫力を持って伝わった。その杉原さんに前立腺がんが見つかったのは60歳の時だった。
生涯現役を誓っていた杉原さんは、手術するか避けるか、悩んだ末に手術を避けて、自分なりにがんとの戦う道を選びトーナメントに出場し続けた。
2006年「つるやオープン」で68歳という最年長予選通過者の世界記録を樹立、2010年には「中日クラウンズ」で51年連続出場という世界記録(前年自分の記録)を更新した。
身長162cmという小柄な体で大きなプロと戦うには体力の増強しかなかった。杉原さんは60歳になった時、体力の衰えをカバーするために、「加圧トレーニング」を開始する。
このトレーニングは科学的に評価されたばかりの新たな方法で注目を集めていた。当時「加圧トレーニング」の施設は東京府中市にしかなかったので、杉原さんは毎週1回欠かさずに大阪から東京へ通って体力増強を図った。
その年数14年間、がんが進行しても月1回は通った。その様子をNHK総合TVが放映したことがあるので。記憶されている人もいるだろう。14年間担当した専門トレーナーは杉原さんの強靭な姿勢にはただただ頭が下がる思いでいっぱいだったと言い、その後「加圧トレーニング」が全国普及したのはひとえに杉原さんのお蔭だと語っている。
杉原さんのゴルフ以外の生活にスポットライトを当てて、自己に厳しく人に優しい姿を、周りの人々の言葉で綴ってみたが、彼の人生を語る“生きた言葉”に触れるたび、あらためて人の生き方を教わるのである。
「感謝の気持ちがあれば何事もつらくなくなる」「反省はしても後悔はしない」「ベストを尽くして結果は求めない」「本当に強い人は、ここぞという時に運を引き寄せる」こうした数々の言葉は、艱難辛苦と対峙して血肉となったもので、正しく魂の言葉に実っている。
杉原さんの魂の言葉に触れて、坂村真民の詩を思い出した。どこか根底の部分で通じているような気がする。
「一途一心」という詩である。癒しと勇気を与えてくれる詩人として小学生から高齢者まで詠まれている坂村真民は、「念ずれば花開く」で多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、海外にまで建てられている。2006年97歳で亡くなった詩人である。
一途一心
一途にいきているから
星が飛び 花が燃え
天地が躍動するのだ
雲が跳び 草が歌い
石が唸るのだ
一心に生きているから
この手が合わされ 憎しみを
愛に変えることができるのだ
一途であれ 一心であれ
(坂村真民詩集「二度とない人生だから」)
参考資料:「命ある限り」杉原輝雄記念館編著 (発行コスモ21/2012年)
「杉原輝雄~魂の言葉」杉原輝雄著 (発行日本文芸社/2011年)
「杉原輝雄100の言葉」~書斎のゴルフ:特別編集:ムック本
(日本経済新聞出版社/2010年6月15日発行)ほか
コメントを残す