故ジャンボ尾崎氏にJGJA大賞特別賞~新年会にて長男智春氏に贈呈

JGJAは2月3日、都内で恒例の新年会を開催した。2025年12月23日に死去した尾崎将司氏に「2025年第12回JGJA大賞特別賞」を贈ることを理事会で決定し、会の冒頭に同氏の長男、尾崎智春氏にJGJA大賞特別賞の盾を贈呈した。盾には、メディアが長くお世話になった「ジャンボ尾崎」の名前を刻んだ。

表彰式後、智春氏とJGJA小川朗会長が対談する形で、JGJA会員や同席したメディア各社を前に、ジャンボ尾崎氏(以下ジャンボと呼ばせていただきます)の闘病の様子などを話した。

智春氏によると、2024年にお腹が張る症状で体調を悪くし、9月に病院で検査を受けた結果、S字結腸がんの末期で余命3カ月と診断されたという。抗がん剤のよる治療に一縷の望みをかけられるという医師の勧めもあり、当初治療を拒んだジャンボも「ラストチャンス」と納得して、2週間に1回の抗がん剤治療を開始した。

「がんは確実に小さくなっていたのですが、副作用がきつくて、がんは治っていくのに、体調が悪くなった。舌のしびれもあって、ご飯をおいしく食べられなくて、甘いものはわかったようで、ほとんど果物で生活していました」と智春氏。大好きなうなぎを持っていっても口を付けなかったという。

昨年10月ごろに医師から「抗がん剤が効かなくなってきている」と説明を受けて新しい抗がん剤を勧められたが、ジャンボは「もうやらない。このままでいい」と、それ以上の治療を望まなかった。「抗がん剤をやめたところ、11月にはすごく体調がよくなっていましたが、がんは毎日(体を)むしばんでいくような感じでした」という。これも好物のフカヒレを口にしたのもこのころだった。12月上旬にJLPGAツアー年間女王に輝いた佐久間朱莉ら弟子たちのお見舞いを受けた。

緩和ケアを始めており、次第に薬剤の投与量も多くなっていったという。「年は越せるといわれていたんですけど、進行が早くて」と急激に悪化していった。亡くなる2日前に、弟の尾崎健夫、直道、弟子の飯合肇が見舞った際も「3人がずっと話していて、親父はほとんどしゃべれなかった」という。

12月23日に亡くなる直前「もう少しだから、大丈夫だから」と言ったのが最後の言葉だったという。「意味は分からないんですけど」と振り返った。

闘病中の楽しみは「メジャーリーグの大谷選手の試合をみること」だったといい、ワールドシリーズでの優勝を見届けて「おもしろかったなあ」と喜んでいたそうだ。「ワールドシリーズが終わって『楽しみがなくなった』と言っていた。それから、生きる気持ちが少しなくなっていったのを感じた」と話した。野球からゴルフに転向して時代を築いたが、最後は野球が楽しみだったようだ。

またジャンボがもっとも尊敬する長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が昨年6月に亡くなったのも、影響があったかもしれない。「衝撃を受けていたと思いますが、あまりに尊敬していた方なので、あえて聞きませんでした。いまごろ、一緒にゴルフをしているのではないでしょうか」と話した。

父としてのジャンボについては「子供のころはいつも家にいなかったので。(試合が終わって)帰ってきて、ポケットのコインをお小遣いにくれたのがうれしかった。運動会に来てくれたり、参観日にきて先生もあたふたして授業どころじゃなくなってしまったこともあった」と、思い出し笑いをした。智春氏がゴルフを始めてからは「師匠としての付き合いでした」という。

千葉県内のゴルフ練習場で「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を開設し、ジュニア育成に力を注いできた。「続けていきたい」と智春さんが話したときは、ジャンボはうれしそうだったという。ただ、維持していくには多額の資金が必要でもあり「存続に向けて努力します」と話した。

「本当に素晴らしい人生だった。悔いは全くない」とも話したという。智春氏は、亡くなってから海外メディアでも取り上げられたことを日本のメディアを通して知り「あらためて偉大さを感じました」と話した。

故郷・徳島県にある尾崎家先祖代々の墓の隣に自身の墓を建て「誰が行っても分かる墓を作りたい」と、墓石はゴルフボールを取り入れた形になっており、墓碑銘には「ジャンボ尾崎」と刻んだ。完成写真をみて「これで俺も安心していける」と話したそうだ。2月5日に納骨を予定している。

また、3月16日(月)に「尾崎将司 お別れの会」が帝国ホテル東京本館2階の「孔雀の間」で行われることが決まった。

発起人代表は、長年のライバルであり友だった青木功、発起人は日本プロゴルフ協会明神正嗣会長、日本ゴルフツアー機構諸星裕会長、ジャパンゴルフツアー選手会谷原秀人会長が名を連ねている。喪主は尾崎智春氏。
式典は招待者のみの参加だが、一般献花を13:30~14:30(最大延長 15:00)に設けている。

※対談の模様は以下からご覧いただけます。

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新年会には28人の会員らが出席した。横山雅也・全日本練習場連盟会長が、哀悼の意を表して献杯のあいさつに立った。ジャンボとかかわりがあった会員も多く、それぞれがジャンボの思い出を話すなど、早すぎる死を悼んだ。

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1959年北海道札幌市生まれ。札幌南高―北海道大学工学部卒。82年日刊スポーツ新聞社入社。同年から計7シーズン、ゴルフを取材した。プロ野球巨人、冬季・夏季五輪、大相撲なども担当。2012年、日刊スポーツ新聞社を退職、フリーに。
著書に「ゴルフが消える日」(中公新書ラクレ)、「ビジネス教養としてのゴルフ」(共同執筆、KADOKAWA)
日本プロゴルフ殿堂、国際ジュニアゴルフ育成協会のオフィシャルライターでHPなどに執筆。東洋経済オンラインでコラム「ゴルフとおカネの切っても切れない関係」を担当。趣味で「行ってみました世界遺産」(https://世界遺産行こう.com/ )を公開中。
【東洋経済ONLINEより】
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