東京オリンピック、パラリンピックまで1年半。
個人的にはNHKの大河ドラマ「いだてん」でのオリンピックをめぐる時代背景や往時の盛り上がりに、毎週日曜日に胸を躍らされているところだ。日本人として初めてオリンピックに出場する、また初めて選手を派遣する。日露戦争が終わったばかりという明治時代後期の日本においてその高揚はいかばかりであったろう。
リオ五輪でのゴルフ競技復活、そして二度目の東京五輪の決定。日本でのオリンピックでゴルフ競技が開催される。
それを知らせされたときの我々日本人ゴルファーの高揚も、明治の日本人と共通するものであったに違いない。
ゴルフ競技で日の丸を背負う、ということでいうと我々には中村寅吉&小野光一ペアによる1957年のカナダカップ優勝、その後の2001年のワールドカップでの伊澤利光&丸山茂樹ペアの大健闘、その翌年、メキシコでの同ペアの優勝と、大いに胸を躍らせた栄光の歴史がある。
筆者が目の前で観たのは太平洋御殿場でのEMCワールドカップだが、タイガーの奇跡のチップインもあって15,000人ものギャラリーが熱狂したあの熱い一週間は今でも忘れられない。
そして今度はオリンピックである。舞台はカナダカップと同じ霞が関東コース。
松山が、畑岡が、日の丸を背負って地元のオリンピックを戦う。そんな夢の舞台が一年半後に訪れようとしている。
その夢の舞台のお披露目の場として、「東京2020ゴルフ競技メディアデー」が開催された。
駆けつけたのは110名を越えるメディア。今回はJOCではなく、ゴルフ競技を統括する日本ゴルフ協会(JGA)の主催。
午前中はゴルフ競技の強化委員長の倉本昌弘プロ、同副委員長の小林浩美プロ、準備委員の中嶋常幸プロという往年の名プレーヤー3名が開催コース3ホールをプレーしながら、メディアへ解説する形で行われれた。
東コースは2016年から改造に着手。世界的な設計家トム・ファジオ氏とその息子ローガン・ファジオ氏を招聘して、ワングリーン化と総距離を伸ばした「オリンピック仕様」に生まれ変わったという。
この日のラウンドは10番ホールから、お三方とも流石往年の名プレーヤー、余裕の表情でいとも簡単にグリーンオン。
同コースの大野了一キャプテンによると東コースの佇まいは残しつつ難易度を上げることが改修のポイントだったそうで、その言葉通り手前の大きな池、左右に屹立する木立、バンカーの深いアゴ。といった「フレーム」は見慣れた東10番のまま。
しかし、グリーンに近づいてみると複雑にうねったマウンドがいくつもある現代風の広大なワングリーンに様変わりしている。
中嶋プロによると。「グリーンは大きいけど、乗っただけではチャンスにならない」
「そうした意味では4日間それそれピンの位置にバリエーションが出せるし戦略性は上がっている」と評価。
続く11番(461ヤード)、18番(500ヤード)もかなりティーイングエリアを下げて距離を伸ばし、ガードバンカーも300ヤード地点に設定して世界のトップ選手の飛距離に対応したという。
確かにこの3ホールを見る限りグリーンこそ大きく変わったが、ホール全体の印象は元の霞のイメージをしっかり残している。気になったのは難易度だ。いかにグリーンを難しくしても今の世界ランカーたちはこの程度の距離では全く苦にしないだろう。
そして猛暑、酷暑が想定される開催日程、同コースの東海林グリーンキーパーによれば現時点でIGFからグリーンのコンディション、スピードについて具体的な数値の指定はされていないという。
オリンピックは男子、女子と2週に渡って開催されるというコースにとっては過酷なスケジ
ュール。どう考えてもオーガスタレベルの13~.14フィートといった高速グリーンに仕上げることは不可能だろう。
そうするとメダル争いもおのずとバーディーラッシュが続くロースコアでの争いが想定される。
果たして改修後の東コースがオリンピックにふさわしいコースとなったのかどうか、若干疑問も残るところだが、それよりも重要なのは、日本人選手が活躍出来るかどうか、その可能性を高められるかどうかという点だ。
強化委員長の倉本プロは、「直前まで選手が確定しない、リオもそうだったがコーチがロープ内に入れないなど制約が多過ぎ、やれることは非常に限られている。」とお手上げとも取れる発言。
実際女子のコーチも未定な状態で、具体的な強化策は見えてこない。
ここで想い浮かぶのは日本が個人、団体とも優勝を勝ち取った1957年のカナタガップ当時の取り組みだ。
『中村寅吉 栄光のゴルフ』(日本図書センター刊)によれば、中村寅吉、小野光一のペアは出場が決まると霞が関に足繁く通い、攻略法を練り上げたという。練習ラウンドは実に13回にもおよび、コース側も全面協力、マナーに厳しい霞が関としては異例の待遇で、同じバンカーから何球も打たせたり、納得いくまでグリーンをチェックさせたりと、自国開催の国際大会で好成績を挙げるという目標のために様々なサポートがあったという。
勿論、現代とは諸事情は異なるから、どうしたら「地の利」を活かせるのか、もうおいそれとは巡って来ない自国でのオリンピック。
それを最も熱く語ってくれたのは中島常幸プロだった。
「なぜ今、このタイミングなのか? どうして自分にはチャンスがないのか?もし自分が出場を目指せる立場にいられたらどれだけ良かったか・・」
今年殿堂入りを果たすレジェンドにここまで言わせる自国開催のオリンピック。
出場を目指せる立場にいることがどれだけ幸運なことか、それに立ち会えるということがどんなに貴重なことか。
オリンピックランキング上位にいる選手は勿論、日本のゴルフ界全体が今一度、東京オリンピック開催が決まったあの日の高揚に思いを馳せ、深く考えて欲しい。
そう、切に願ったメディアデーだった。
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