「甲斐誠三」の記事

早稲田大学卒、1967年~98年の間デイリースポーツ大阪本社でゴルフツアーを担当。引退後、関西中心にフリーライターといてゴルフ取材を続ける。
主な活動・著書
関西を中心にゴルフ取材のほか、近代ゴルフ史、ツアー史の研究に当たっている。関西運動記者クラブ、同ゴルフ分科会会友。

PGA会長と選手の二束のわらじで奮闘 プロゴルファー今昔物語〜倉本昌弘編【2】

倉本の長所は、瞬間的な判断力と実行猟区である。ゴルフは最少ストロークを競う競技だが、その前提としてアタックルートを探り、プラン通りにボールを運んでいくテクニックが求められる。倉本はパワーとともに繊細なテクニックを駆使して…

アマチュア優勝に続きプロデビュー戦でも優勝 プロゴルファー今昔物語〜倉本昌弘編【1】

今からざっと40年前のことである。ツアーやゴルフ場の取材などで、年間4、5回は広島を訪れていた。行くたびに、繁華街にある「四斗平」という日本料理店で夜のスタートを切っていた。 兄弟で店を経営していて、店主である弟はゴルフ…

還暦を迎えても現役・・・・亡き父の厳しい特訓のたまもの プロゴルファー今昔物語〜中嶋常幸編【2】

中嶋のすごさは、ダンロップフェニックストーナメントに日本人として初めて優勝したことでも証明された。 1974年に当時としては日本ツアー最高額となる賞金総額5100万円(現在は2億円)の同トーナメントが始まった。ジャック・…

阪神・淡路大震災が起こった時真っ先に連絡をくれた プロゴルファー今昔物語〜中嶋常幸編【1】

朝、夢うつつだった。醒めているような、まだ寝ているような-。突然、下から突き上がった。今度は左右に揺れ始めた。テレビが飛んできた。本箱が倒れてきた。布団をかぶり耐えた。 「地震だ」-。 揺れが収まると外に飛び出した。幸い…

ジャンボは弟2人を立派に育てた点でも高評価されていい プロゴルファー今昔物語〜尾崎将司編【2】

初優勝を飾った1971年の日本プロ選手権(宮崎・フェニックスCC)で初めて尾崎将司を見た時、びっくり仰天した。飛ばし屋とは聞いていたが、ドライバーはこちらの想像以上にとんだ。当時はパーシモンウッドに糸巻きボール。250ヤ…

世界中で勝利を重ねた不世出の日本人プレーヤー プロゴルファー今昔物語〜岡本綾子編【3】

数々の栄光を手にする一方で、腰痛やひざの故障にも苦しみ、05年を最後に一線から退いた岡本。現在は故郷に近い東広島市の木谷というところで土地を耕し、農業を営んでいる。まさに晴耕雨読の悠々たる生活だ。木谷地区は木谷ジャガイモ…

世界ゴルフ殿堂入りが物語る偉業の数々 プロゴルファー今昔物語〜岡本綾子編【2】

米女子ツアーに日本人として初めて本格参戦した岡本は目覚ましい結果を残した。米国ツアーで17勝、欧州ツアーで1勝。1987年には米ツアーの賞金女王も獲得した。 このころ大阪の毎日放送が主催して日米両国の合同ツアー、ハワイア…

「僕より飛ぶ」杉原も感嘆した“飛ばし屋” プロゴルファー今昔物語〜岡本綾子編【1】

「めっちゃ、飛ばす女子プロがいる」という噂を聞きつけて、兵庫県西部の赤穂国際CCを訪れたのは1974年のことだった。 岡本綾子と初めて会った。岡本はもともとソフトボールのピッチャーで愛媛の今治明徳高、大和紡福井で活躍。国…

公式4大競技を制覇!JGTO初代か会長としても尽力 プロゴルファー今昔物語〜島田幸作編

1950年代、関西の古いゴルフ場からプロゴルファーたちが次々と誕生していった。広野GCの橘田規や茨木CCの杉原輝雄らとともに活躍したのが宝塚GCからプロになった島田幸作だった。 地元の高校を卒業した島田は宝塚GCに就職。…

正義感にあふれ、社会福祉にも情熱を注ぐ プロゴルフ今昔物語~杉原輝雄編【3】

プロゴルファーとして数々の栄光に輝いた杉原は、徹底した頑固者でもあった。正義感にあふれ、お金のためにプロになったというが、社会福祉にも熱心で、いつも寄付活動に余念がなかった。 プログルファーの福祉と人権を守ろうと、選手会…

1ヶ月3万円で決心「お金のため」プロに プロゴルフ今昔物語~杉原輝雄編【1】

【2015年7月29日にデイリースポーツに掲載された記事を引用】 今週からは、デイリースポーツなどでゴルフ記者として50年間、プロゴルフ界を見続けてきた甲斐誠三氏(82)が、豊富な人脈と取材メモからとっておきの裏話を披露…