「柳田通斉」の記事

1967年(昭42)3月31日、山口県宇部市生まれ。早稲田大学社会科学部卒。90年、日刊スポーツ新聞社に入社。
編集局整理部で2年、新聞編集を学んだ後、現場記者になり、芸能4年、社会3年半、サッカー4年、ゴルフ3年、大相撲3年担当。その後、管理職になり、芸能デスク6年で、13年9月~15年10月に、日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」、テレビ朝日系「ワイドスクランブル」などに出演。15年11月から静岡支局長。陣頭指揮を執りつつ、松居一代騒動、大相撲問題で情報番組に出演。18年12月からメディア戦略本部デジタル編集部次長を務め、19年8月31日付で退社。
同9月1日付で静岡朝日テレビ総合編成局ゼネラルプロデューサー兼広報部長。

趣味はゴルフ(ベストS75)、ランニング。フルマラソン計11度出場。ベストは14年10月の大阪マラソンで3時間27分8秒。著書「宮里藍 世界にはなつミラクルショット」(07年、旺文社刊、文科省推薦図書。学校、自治体の図書館にあり、アマゾンで買えます)。
〇心躍った取材
宮里藍の快進撃を追えたこと。アマ時代からプロ転向後、日本での賞金女王争い、世界への飛躍までを取材。本も書かせていただきました。宮里家とは現在も親交あり。

〇印象深い取材
サッカー02年W杯日韓共催大会、マスターズ、全米オープンなど、海外メジャーゴルフ大会、ペルー日本大使公邸人質事件ほか数々の海外取材(16カ国)。

〇怖かった取材
オウム真理教事件の強制捜査が行われた時、山梨県上九一色村(現富士河口湖市)の第7サティアン(サリン工場)前での取材。隣にいた一般紙の記者が防毒マスクを持参していることを知って。