プロゴルファーはパーマーを忘れてはいけない

日経電子版2016年10月12日配信

ゴルフ界の“伝説”の一人、アーノルド・パーマーが9月25日、87年の生涯の幕を閉じた。

ゴルフのスーパースターといえば多くの人が、ツアー復帰を伝えられるタイガー・ウッズ(米国)の顔を思い浮かべるだろう。あるいは、もう少し時代をさかのぼって、トム・ワトソンやジャック・ニクラウス(ともに米国)の名を挙げるかもしれない。

■60年全米オープンで7打差を逆転

しかし、パーマーは単にスーパースターであっただけではない。もし彼がいなかったら、今のプロゴルフの隆盛はなかったかもしれない――とまでいえるほどの存在であった。その意味で、世界中のプロゴルファーは「アーノルド・パーマー」の名前をけっして忘れてはいけないし、感謝の念を抱き続けるべきだと思う。

記録だけを見ると、パーマーはナンバーワンではない。メジャー大会優勝は、ニクラウスの18勝やウッズの14勝に遠く及ばない7勝で歴代7位。米ツアー通算62勝も歴代5位である。だが、優勝回数だけでは表せない大きな功績がある。

1954年の全米アマを24歳で制したパーマーは、そのままプロに転向。58年のマスターズで優勝したころから、その攻撃的なゴルフで人気が出始めた。ハイライトは60年の全米オープンだ。3日目を終えて首位に7打差の下位にいたが、最終日の最初の7ホールで6バーディーを奪う猛チャージをかけて65をマーク。大逆転でタイトルをものにした。7打差逆転は、今も全米オープンの最大記録として残っている。

これでパーマー人気に火がついた。独特のハイフィニッシュと「パーマーチャージ」を見ようと、トーナメントにギャラリーが殺到する。パーマーの組を追いかける人たちは「アーニーズアーミー」(パーマー軍団)と呼ばれるようになり、それまではフィルム撮影によるニュースが中心だったゴルフトーナメントをテレビ局が生中継し始め、プロゴルフが視聴率を稼げるコンテンツになった。

■アグレッシブなゴルフ、最大の魅力

パーマーの最大の魅力は、そのアグレッシブなゴルフだ。後年、ニクラウスに「レイアップした(刻んだ)ことがあるかね」と聞かれると、言下に「そんなことをしていたら、もっと勝っていたよ」と答えたほどで、第2次世界大戦後の好景気が陰りを見せ始め、意気消沈気味になっていた米国人の心をわしづかみにした。

生涯アマチュアを貫いたボビー・ジョーンズや、「鉄人」と呼ばれたベン・ホーガンら、それまでの人気選手には、どこかとっつきにくい雰囲気があったが、パーマーにはそのへんにいる普通の人と変わらない親しみやすさがあった。

67年には、プロゴルフ史上初めて、通算獲得賞金で100万ドル(約1億円)の大台を突破した。今でこそ米ツアーでは1試合の優勝賞金が100万ドルを超えるのが当たり前だが、約50年前のこの額は大変なものだった。「ゴルフでミリオネアになれる」ことを証明し、ゴルフが魅力ある職業であることを後輩たちに印象づけた。

プレーだけではない。現在ではあらゆるスポーツのトッププロたちが、スケジュールや賞金・ギャラの管理などをマネジメント会社に任せるのが当たり前になっているが、これもパーマーが手掛けたものである。60年に、親友の弁護士、マーク・マコーマック氏が設立した会社とマネジメント契約を結び、イベントを仕掛け、傘のワンポイントマークを作ってライセンス事業をスタートさせるなど、現在のスポーツビジネスを考え出した功労者でもある。

70年代半ばから80年代にかけて、私はマスターズ・トーナメントを何回か取材している。すでにパーマーの全盛期は過ぎ、主役は10歳若いニクラウスや、さらに10歳若いワトソンにとって代わっていた。

ある年、パーマーは予選落ちした。決勝ラウンドに入った翌日の土曜日正午前、オーガスタ・ナショナルGCの上空に、1機の小型ジェット機が飛んできた。

「アーニーだ」「パーマーの飛行機だ」。パトロン(ギャラリー)たちは、試合そっちのけで、飛行機に向かって手を振り、こぶしを突き上げている。機体に傘のマークが描かれたパーマーの自家用ジェットで、しかも自ら操縦かんを握っている。1周ほどすると、「さようなら。みんな、がんばれよ」と言わんばかりに、北のほうに飛んでいった。

■青木功「足向けて寝られない」の意味

もう一つだけ付け加えておきたい。米チャンピオンズツアー(シニアツアー)は、パーマーが50歳になった次の年の80年に始まった。パーマーが出るからギャラリーが集まり、テレビも中継してくれるから興行になる。それまでは、1年に何試合かのシニア大会に出るかレッスンをするかして食いつなぐしかなかったベテランプロたちにとって、こんなにありがたい話はない。

92年からそのシニアツアーに参戦して9勝を挙げた青木功が「パーマーに足を向けて寝られない」と言ったのは、そのことも指している。