PGA会長と選手の二束のわらじで奮闘 プロゴルファー今昔物語〜倉本昌弘編【2】

倉本の長所は、瞬間的な判断力と実行猟区である。ゴルフは最少ストロークを競う競技だが、その前提としてアタックルートを探り、プラン通りにボールを運んでいくテクニックが求められる。倉本はパワーとともに繊細なテクニックを駆使して勝ち星を重ねた。

メジャーの日本プロ選手権2勝を含みレギュラーツアー通算30勝を記録。50歳以降のシニアツアーでも、これまで通算6勝を挙げている。3年前には欧州シニアツアーでも勝利を挙げた。

93年には予選会をトップ通過して1年間米ツアーに参戦。米ツアーの仕組みなどにも精通しており、日本ゴルフツアー機構(JGTO)の設立にも尽力した。2000年に心臓弁膜症の手術を受けたが、見事にカムバック。”ポパイ”の異名通り、とにかく元気でパワフルだ。

昨年は自ら望んで日本プロゴルフ協会(PGA)の会長にも就任した。近年のゴルフ人口の伸び悩み、若年層ゴルフ離れなどが倉本の危機感んい火をつけたのだろう。

来るべき時代を展望しながら、プロゴルフ界のみならずゴルフ界全体に刺激を与えていこうとしている。さらにすごいところは、会長の重責を担いながらも選手として試合に出て、昨年はシニアツアーの賞金王に輝いたことだ。コースを離れれば、ゴルフウェアからスーツ姿に着替え、あちこちの会合に出席するなど多忙な毎日を送っている。

女子ゴルフ界は次から次へと有望選手が登場し、活況を呈している。一方、男子ゴルフ界は松山、石川が米ツアーに参戦し、ギャラリー数の現象も深刻さを増している。こらもとにはこれまで培った豊富な経験を活かしてゴルフ界をより一層盛り上げていってほしい。

私は一介の老いたライターに過ぎないが、ゴルフ界の行く末を案ずるものの一人として彼の活動は大いに関心を持っている。地道な活動が実を結び、いつか大きなホームランをかっ飛ばしてくれることだろう。そして私と同じように”倉本応援隊”が増えることを願っている。(この項終わり)

WHO‘S WHO
倉本 昌弘(くらもと・まさひろ)
1955年9月9日、広島県出身。10歳からゴルフを始め、中学3年時に広島GCのクラブチャンピオンに。日大時代は日本学生を4連覇。80年の中四国オープンでアマチュア優勝。翌年プロ入りし、ツアー通算30勝をマーク。14年2月に日本プロゴルフ協会会長に就任。同年選手としてもシニアで2勝を挙げ、4年ぶり2度目の賞金王に。164センチ66キロ。

【2015年10月21日にデイリースポーツに掲載された記事を引用】